令和に変わって行く可能性もありますが、今は情報化の時代もあって、広く浅くの時代。芸能人も専門家ではなく、マルチタレントが活躍した。
もちろんそうしたこともあっていいのですが、ただそうすると、深い世界が分からなくなったりする。
たとえばプロになりたいと思っても、深い世界が分からないから、無意識的に浅い世界の中での努力となり、深い世界、プロの世界に行けなくなる。
深い世界を知るためには、一つのことをひたすら取り組み続けることです。
それによって、初めてその先の世界が見てくる。
だからあれもこれもとやっている内は、深い世界には行けないし、深い世界に行ってはいない。
また一つのことを取り組み続けると言うと、野球なら野球、サッカーならサッカーをやり続けてさえいれば、深い世界に行くかと言うと、必ずしもそうではない。
何故なら野球でもサッカーでも、それは一つではあるけれども、その中でいかようにも逃げ道を作り出すことが出来るからです。
私は元々ウエイトトレーニングに取り組むと共に、整体を行い、また体の使い方に取り組み、体の使い方を勉強するため合気道をやるようになった。
そうしたアプローチから、体の謎を解き明かそうとしてきたのです。
その甲斐あって、プロの人の体、一流の体が分かって来て、昔は達人にしか出来ないと思っていた不思議な技も、今ではその原理が分かり、少し出来る様になった。
このように私の場合は、一つのことと言うより、いくつかのことをやることによって、一つのことを追究してきたのですが、「逆も真なり」と言うように、一つのことをやっていても、いくつかのことをやっていることがある。
そうすると、何年も取り組んでいたとしても、結果的にあれこれやっていることになり、深い世界のことが、いつまでたっても、見えるようにはならない。
そう言っても、よく分からないと思うので、どういうことかを合気道を例に説明して見ます。
私は合気道の達人が、どうやっているのかその秘密を知りたく、長年お金と手間暇をかけて、秘密の謎解きをしてきましたが、合気道をやる人の中には、達人は映像の世界、昔の人の話で、達人を余り知らない人も数多くいる。
そうすると、その人たちだけに限った話でもないのですが、合気道の技をやれば、力を使わず大きな相手を倒すような、神秘的な技が出来る様になるもんだと、思っていたりする。
何しろ合気道をやれば、達人になれると思っている人も、結構いるぐらいですからね。
「そんな訳ないだろ?」
と思うのですが、合気道に対する勝手なイメージから本当にそう思っている。
「たかが週2回ぐらいの稽古で、達人になれると思っているの?」
みたいなことを言うと、少しずつ現実が分かって来るんですけど、スポーツでもそうですが、どこからそんな発想が出るもんだと、面白いもんです。
合気道をやって達人になれる可能性というのは、野球やってプロになるとか、イチローみたいになるのと、同じようなものと言っても、それ程間違いではない。
どうも人は、何かをやりさえすれば、効果が保障されると考えたり、権威にすがりたくなるようです。
話を戻し、合気道に勝手な幻想を持っている人は、合気道の技を覚えれば、自分も凄くなれると思って、技を覚えることに一生懸命になる。
しかしどんなに技を覚えた所で、達人の様には全くならない。
初心者なんかは特に、技の手順、ステップを覚えることが大事だと思う傾向にありますが、直ぐに技を覚えられないと、手順、ステップが、「難しい」と考える。
ダンスのステップでは、難しいものもあるかもしれませんが、合気道の技で言えば、余程頭が悪い人でもなければ、週に2,3回でも、毎日でも、また2,3年でもやれば、技を覚えることは出来るでしょう。
つまり慣れや時間の問題だから、そんなに難しい事ではない。
本当に難しいのは、技の本質なのです。
それが分からない限り、中途半端な柔術的な技。酷い場合は、道場以外では、全く使えない技、ダンス、お遊戯になってしまう。
私の場合はあくまで原理、本質、体の使い方に興味があったので、技は二の次、また原理などを勉強するために、技がある、技で勉強するという考えでした。
現にそれが分かりさえすれば、技などを覚えなくても、武産合氣(たけむすあいき)といって、勝手に技が出て来るような状態になる。
4年か、5年ぐらい、週2,3回程度やっていたのであれば、最初難しいと言っていた人でも、さすがに技を一通り覚えたりする。
しかしそうすると、覚えてしまったものだから、もうやる事がなくなる。
ただやる事がないと言っても、技は本当の意味では中々かからなかったり、達人になった訳でもないから、何か練習して上手くなろうとしますが、じゃあ何をやるかと言うと、より手順やステップが複雑な技を、練習したりする。
しかしそんな複雑な技など、使う機会はまずない。
「シンプルイズベスト」とも言うように、使い勝手のいいのはシンプルな技だし、武道では技の数を覚えた人よりも、一つの技を極めた人の方が、強いと言われていて、実際そうでしょう。
昔、合気道の開祖、植芝盛平(うえしばもりへい)が生きていた頃、一教(いっきょう)という技ばかりやらされていたことがあったらしい。それで二教なんかやっていると、
「一教も出来ないのに二教かい?」
と怒られたのだとか。
確かにずっと同じことをやっていたら、飽きるからあれこれやりたいですよね?
しかし一つの技を突き詰めることによって、見えて来るものがあり、それを一教だ、二教だ、三教だ、入り身投げだみたいな感じで、あれもこれもとやると、一つの技に対する濃度が薄くなる。
逆に一つの技を突き詰めてやった場合、他の技の練習回数、時間、濃度が減る訳ですが、一つの技を深く突き詰めて掴んだものを、他の技に応用することが出来るようになっていて、覚えるのも早い。
でもそれが出来ない。
空手にしても、達人たちは型と呼ばれるものを、ひたすら毎日、何十年と続けて稽古しているのですが、普通の人は、一つの型に意味や、課題を見出すことが出来ないでしょう。
だから手順を覚えたら、この型は覚えた、マスターしたと思って、今度は違うのをやるようになる。
今は武道も余りやらなくなっているから、益々そうでしょうね。
しかし覚えた、出来た、分かったと言って、その先の壁ではなく、違うのみたいにやっていると、何一つ壁を乗り越えてはいない。だから深い世界に入って行けない。
そうではなく、壁を乗り越えて、初めて向こう側の世界が見える。
もし深い世界を知りたい、プロになりたいというのであれば、壁を乗り越えるしか道はないんです。
昨日世界一の投資家、ウォーレンバフェット氏の動画を紹介しましたが、いくらウォーレンバフェット氏が深い世界を知っていて、それを話してくれたとしても、実際に自分自身で壁を乗り越えて行かない限りは、悟りと同じで、分からない。
けど、
ああいう動画を見ると、その時は、「なるほど!そうか!」と思って感動したりはする。
けど、
次の日には忘れたりする。
そしてそれを繰り返す。笑
それも本当は分かっていないのに、分かったと思ってしまうからですね。
本当にわかるためには、それを実践し、自分の実体験として経験した時に、初めて分かる。
それが頭での理解ばかりになると、頭でっかちになる。
それで時折、知識は勉強して、経験を積まず分かった気になっている、勉強の出来る小学生なんかがいたりしますね。
深い世界を知るためには、一つのことを突き詰める。それしかない。