どうでもいい話ですが、肘の力と書いて「臂力」と昔言われていて、それが大事だとされていた。
これも分からなくて苦労した。何しろ解剖学の本を見ても、上腕や前腕にはあるけど、肘には筋肉ないですからね。一応肘筋(ちゅうきん)という筋肉があるけど、どう考えてもそれではない。
それも少しずつ分かってきましたが、そうすると全然力を入れていないのに、物凄い力が出る。
よくボクシングでハードパンチャーとか、もしくは野球でホームランバッターと呼ばれる人たちは、天性のものだと言われたりしていますが、天性と言えば天性なのだけど、他の人がそうなれないのかと言えばそうではなく、体の使いかを工夫することによって、身につけることも出来る。
ただ今の段階では、スポーツ科学が進んだ今も、それがまだ分かっていないです。
一流の選手たちにしも、元々出来たものだから、それが何なのかが具体的に分かっていない。だから後輩などにアドバイスをすると、違うようなアドバイスになったりもする。
術理的な体の使い方を知っている、武道の先生にしても、私は当然分かっているものだろうと思っていたのですが、感覚的にやられている先生が殆どなので、具体的に分かっている先生が少ない。
屈強なロシア人をも、バンバン投げてしまうぐらいの実力がある、ある合気道の先生の道場に、一度お邪魔させて頂いたことがありましたが、感覚的な先生だったので、恐らく弟子は出来るようにはならないんじゃないかと思ったことがある。
中には専門的に体を勉強した先生もいましたが、お会いした武道の先生の殆どが、右脳的、感覚的で、色々なコツがあるにしても、案外具体的には分かっていなかったですね。
中には、大東流合気柔術の達人、佐川幸義のように、万能型の人もいる。ちなみに合気道を創った植芝盛平は、右脳型でその弟子、塩田剛三は万能寄りです。
その話はともかく、スポーツで大事なのは、軸があるかないか。(と言っても、本当はスポーツに関係なく、健康やメンタルでも軸が関係していて、全ての人に軸が大事)
一流選手は軸があるし、普通の選手には軸がない。
それは生まれ持ったものの違いではなく、皆生まれつき軸を持っている。しかし殆どの人が、後天的に軸を失っていく。それに対し、一流選手は軸を失わなかった。
なぜ後天的に軸を失っていくのかというと、大人が余計なことを教えるためです。
当たり前ですが、軸が分かっている大人であれば、軸を教えますが、軸の存在そのものを知らない親であれば、軸を教えることは出来ず、それ以外のことを教えることになる。
本とかで体幹トレーニングが流行れば、それを教えるわけですよね?
もちろん体幹トレーニング以外でも、練習からトレーニング、勉強のことなどと、色んなことですが、それによって、徐々に失っていく。
また教えれば教えるほど、失いやすい。
大人が子供に教えることによって、それらしい形が少しずつ出来て来ます。しかしその代わり、中身を失ってしまうのです。そこで失わない人との大きな差がついてくる。
もしプロに習うお金がないというのであれば、余計なことをしない、教えないというのが、結構レベル高い教育法ですが、皆無駄なこと余計なことをやりたがるので、勝手に自滅してしまう。
前回のセミナーで久しぶりに軸を作る、また確認するためのある方法をやりましたが、出来なくなっていた。何にもしなくていいのに、余計に力を入れたり、頭で余計なことを勝手に考えて体を動かし、自分で出来なくしていた。
そうしたように、余計なことをしてダメにしているというのが、かなりある。
そうしたことってありますか?
もし「ある、ある」というのなら、感覚がいい人だと思いますが、もし思いつかないというのであれば、力むこと、頑張ることが当たり前になっていて、それが自分では必要、大事なことだと思っても、案外無駄なことかもしれません。
力は抜けば抜くほど、強い力が出る。また力を抜いた延長で力を出す。
子供が今幼稚園なら、まだ軸はある。
他のことはさほど重要ではないので、それを失わせないように。