その根拠は大丈夫か?

過去に災害が起きていなければ、「今まで大丈夫だったから、次も大丈夫だろう」と考えたりする。しかし今までが大丈夫だったから、次も大丈夫だとは限らない。

今まで大丈夫だった人でも、交通事故に遭うこともあるし、病気になったことがない人でも、病気になることもある。過去が大丈夫だからと言っても、その根拠は、必ずしも正しくはない訳です。

 

逆に過去に成功していない人が、成功することだってある。

政治家として経験がないから、ダメだとか、監督の経験がないからダメだとかと言う人がいましたが、東国原さんにしても、工藤監督にしても、栗山監督にしても、全く経験がない人でも、結果を出したりしている。

北野武さんにしても、昔はタクシーの運転手をしていましたが、そんな時、まさか世界でも有名な映画監督になったりするとは、誰も思わないでしょう。

 

そのため過去による判断、過去を根拠にすることは、間違いの元。

もちろん競馬や投資などでも、過去のデータから予想するし、過去からそれを根拠に正解を導き出すために、ややこやしいのですが、それは同じ過去であっても、過去の中身で見ているために、過去の形で見ている人とは、見方が全然違う。


 

それともう一つ、過去と合わせて、根拠でよく使われているのが自信。

自分が「絶対こうだ!」と思っていれば、絶対こうだと思うからという理由で、それが正しいと考える。

しかしよく考えてみれば、いくら自分に100%の自信があったとしても、それが正しいとは限らない。

芸能人格付けチェックを見ても、自信を持っている人が間違っていることはよくあるし、逆に自信がなさそうな人、また控えめで相手に譲ってしまうような人が、正解だったということもよくある。

 

普段周りでも、言ってもきかないような人はいたりすると思いますが、その人は自分なりに自信を持っていて、自分では正しいと思っていても、間違っている。

しかしそれは自分にも当てはまり、他人のことであればそれがよく分かるのですが、不思議と自分のこととなると、自分が正しいんだと思えば、それは正しいとなるため、よく分からなる。

「その根拠は?」とよくよく問い詰めてみると、実の所はっきりとした根拠ではなかったり、ジャイアンの「お前のものも俺のもの」と言っているのと、根拠の中身はそんなに変わらないでしょう。
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またむしろ、「絶対こうだ!」なんて思っていたら、判断が鈍っている可能性が高いと考えた方がいいかもしれない。

何故なら100%正しいと思っているものに、一々「今月は絶対に10月だ!」などと、思うことはなく、不安があったり、間違う可能性があるから、その気持ちを隠すために、虚構の自信を作り出し、自分でそれを言い聞かせ、信じようとするからです。

 

では何が正解なのか?

何を根拠とすべきなのか?

 

そもそも正解なんていうのは、誰にも分からない。

もちろんテストの正解などはあるのでしょうが、未知のものであれば、誰にも正解などというものは、分からないでしょう。分からないから正解をこうだと、決め打ちなどしない。

それを分からないものなのに、決め打ちをするから、間違うことになり、また元に戻れなくなる、修正出来なくなる原因になる。

 

たとえば子育てにしろ、スポーツにしろ、自分が絶対に正しいと思えば、もしそれが間違っていた時は、変えることが出来ず、それをやり続けることになる。

これは投資でもよくあることなのですが、チャートを見たりして、上がるなとか下がるなと考えて投資しますが、ダメな人ほど、「これは上がるぞ!」と考え、そう決めつける。

本来どういった動きをするかなど、中々分かるものでもないのですが、それを決めつけるのは、あくまで自分で勝手にそう考えただけで、自分の都合通りに動いて欲しい、という希望にしか過ぎないなのです。

その自分の都合と希望のことを、立派な根拠を持っていると錯覚する。

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またそういう人が、上がると思ったものが下がった場合、「間違えた!」と思うのではなく、「ここまで下がったのだからこれから上がるぞ!」と、考え、また思いたくて、そこで更に再び投資したりする。

下がってからまた買い増しするのを「ナンピン買い」と言うのですが、上がってくれればいいのですが、もし下がり続けてしまった場合は、損失は更に莫大なものになるため、一般にナンピン買いは危険だと言われています。

「下がったのだから上がる」ことにしたって、客観的には、「どうして?」となりますが、熱くなっていたり、自分の都合と希望が強いと、「下がったから」というのが、その人にとっての立派な根拠となって、本人が完全にダメだと自覚出来るまでは、そこから抜け出せない。

 

投資で稼ぐ人や、その道の専門家のように知識経験がある人であれば、自分の考えが当たる可能性というのは、他の人よりも高くなりますが、それでも100%ではないので、決め打ちしない。

ではどうするのかというと、随時修正する。

それを繰り返していく。

 

今の若い人は少し違うかもしれませんが、日本人は、小さいころから失敗することはダメだと教え込まれてきたので、間違うことが許されない、恥ずかしいことだと、潜在意識に染み込んでいます。

だから間違ったことがあったとしても、それを見ないことにし、そのままやり続けたりする。

それによって、本当の大きな失敗にしてしまう。

しかし、人間なんという生き物は、間違う生き物なんだから、それを間違わないようにすることそのものが、間違っている。

 

スポーツでも、その延長で試合でミスしたときのことを想定した練習をしない。

「試合でミスしないように練習するのはいいと思うけど、もし万が一ミスしたらどうするの?」

と言えば、

「だからミスしないように、練習してるんじゃないか!」

となる。

 

これは、間違わないことを前提に考えているからですが、それでは人間の性質を無視しているでしょう。

スポーツの試合であれば、ミスしても死なないから、その考えでもいいかもしれませんが、たとえば仮に、自分でハンググライダー作って、崖の上を飛ばなければいけないといった状況があった場合、

「うひょひょひょ、これで飛べるぞ!」

と思うよりは、あらゆること失敗を想定して作った方が、成功する確率は上がるし、そうでなければ、とても怖くて飛べない。

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稼ぐ投資家は、そうでない投資家よりも、知識と経験があるため、ある程度上がるのか下がるのか、高い確率で当てることが出来るものの、それでも100%当てることは出来ません。

そのため、そもそもの考えとして、自分の予想が絶対的ではないという考えていて、自分の予想とは違った動きをした場合は、そこできっぱり諦めて損切りをする。

そうすることによって、大きな損失を出さずに済む。

 

もちろん損切りをすれば、資金を減らすことになるので、そんなことは誰もやりたがらないのですが、そこで資金を減らしたとしても、トータルでプラスになりさえすればいいと考える。

これは野球のバッターみたいなもので、一流のバッターであっても3割しか打つことが出来ませんが、バッターは、7割失敗しても成功で、全打席ヒットを打つ必要がない。

投資でも全打席ヒットを打つ必要がなく、トータルでプラスになりさえすればいい。

 

それは人生でも同じことで、日々色んなことを選択して生きていますが、恐らくその選択の殆どは間違っていることが多い。100%正しい選択をし続けるなどというのは不可能で、トータルでプラスになるとか、チャンスにヒットを打つとかさえ出来れば上出来でしょう。

それには間違うことを受け入れ、間違うものだと考える。

それによって柔らかさが生まれ、ギャンブルの負けをギャンブルで取り戻そうとするみたいに、失敗をより大きなものにして、やり続けることが少なくなるし、正解に近づける。

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