一方通行な思いになってはいないか?

スポーツで一生懸命頑張っている人は大勢いますが、だけど頑張りさえすればプロになれるかと言うと、プロにはなれない。

それは歴史が証明している。

もちろん一生懸命にやるのは当然なのだけど、一方通行では、何事もダメなんです。

 

たとえば、

「私はあなたのために、仕事終わってから家に帰るまで、毎日ひそかに後ろから見守り続けていました。それだけあなたのことが好きで好きでしょうがないのです。だから私と付き合いましょう。」

と言ったって、「何この人。気持ち悪いんだけど」と、誰も付き合ってくれないですね。笑

必死で努力したとしても、そんな努力は全く関係ない。

一方通行です。


 

親が子供に、「誰が毎日ご飯作ってやっていると思っているんだ」とか、「ご飯作ってあげているんだから感謝しなさい」と言ったりする。

恋愛で好きな人が振り向いてくれないのと同じで、親にすれば必死で努力しているのに、子供が振り向いてくれない訳ですね。

 

言い換えれば、「これだけ頑張ってやっているんだから、これだけの見返りがあってもいいはずだ」と、見返りを求めていることでもあるのですが、何故その思いとは裏腹に、真逆の結果になるのかと言うと、子供にすれば、別にそれを求めていないからです。

もちろんご飯で言えば、お腹も空くし、ご飯を食べたいのですが、極端に言えば、子供にとっては、それを求めているのであって、それ以上のことは特に求めていない。

だから、子供にすれば、親が色々やってくれているのかもしれないけど、ただそれだけのことなのです。

 

もう少し分かりやすく、違う例で言えば、「私は子供のためにと立派な家を建てた。だから感謝しろ!」と言ったって、子供はそんな家など、求めていなかったりする。

自分の家は、立派な家かもしれないけど、親はいつもいなくて、またいる時は、いつも怒りっぽい、といった感じであるならば、たとえ狭くてボロアパートであったとしても、いつも側にいてくれて、親に優しくして貰えるのであれば、子供はボロアパートを選ぶ。

だから立派な家がいいと思ったのは、子供ではなく自分が勝手に考えて、自分が住みたかっただけなのです。

 

それを子供の気持ちを無視して、「こんな立派な生活をさせて貰えたのは、誰だと思っている!」

と言ったって、

「立派にしたのはあなたで、あなたのお蔭でこういう生活を送れています。だけど、私はそれを望んでいる訳ではないんです」

「私が望んでいることは、私を認めて受け入れて欲しいのです。ただそれだけです」

と、口にはしないだけで、そんな感情でしょう。

 

またむしろ、勝手に決めつけられたものを、押し付けられているのだから、子供の立場からすれば、親のやりたいことに付き合わされている。

押し付けられ、無理やり付き合わされていることに、感謝しろと言ったって、感謝する面は当然あるのだけど、嘘の感謝なら出来ても、感謝のしようがない。

ご飯を食べさせて貰っても、全体的な差引で言えば、マイナスにすらなる。

嫌なことをされ続ければ、親にだって、恨み辛み持ったりはしますからね。

 

同じように犬で例えると、犬のために私は立派な部屋を用意した。また立派な主人だと誇れるよう200億稼げるまでになった。

だけど犬にすれば、そんなことは全く関係ない。立派な部屋なのか知らんけど、そこに寂しくいるよりも、主人と一緒に過ごしたい。一緒に遊んで欲しい。

職業?何それ?

という感じですね。

子供にしたって、犬と同じような感覚でしょう。

 

ちなみに、カリスマドッグトレーナーのシーザーミランという人によれば、犬が一番喜ぶ飼い主の職業は、ホームレスだそうです。

何故なら常に一緒にいてくれるから。

犬にすれば金持ちとか、立派な家とか関係ない。一緒にいてくれることを望む。

 

親にご飯を作って貰っているなら、子供は感謝すべきでしょうが、感謝というのは、頭で考えて作り出すものではなく、自然にわき出て来る気持ちです。

だから逆に、口には出さなくても、少なくてもご飯を作って貰っている分の感謝は、自然としている。

しかし親がそれ以上に求めている分の感謝は、子供にとっては押し付けられているものだから、感謝はしない。

 

ちなみに、親であれば子供の健康を考えて、色々作ったりしますが、その考えを子供に押し付けたり、それを恩着せがましくしたりするのではなく、その時は、

「お母さんは○○に健康に育って欲しいと思って、こうしているんだけど、どうかな?」

なんて聞いたら

「うん、お母さんありがとう」

みたいになるんじゃないでしょうか。

 

言われないことは、何故そんなことをするのか、子供には分からない、知らなかったりして、その結果、「自分のことを何も考えてくれていない」とか、「わざとに意地悪しているんだ」、とすら考えたりもするものです。

それが暫くの間、親の考えが分からなくて、後から気づいて感謝する、なんてこともよくありますが、誤解があるまま過ごすとか、実はそんなことされたくない、ということを、知らずに押し付けていることもあるので、そうであるなら、

「こう考えているけど、どうかな」

と確認することはいいですね。

 

仕事でも何でも、確認することは大事です。それで嫌だったのなら、ただ「ああ、それは嫌なんだね」となって、それだけのことです。

そういう確認作業をしない人が、自分一人の思いだけが強くなって、相手を無視して、自分の考えを押し付け、上手く行かない原因になる。

何年も経ってから、「えっ、そうだったの?」となったって、時すでに遅しになるよりは、ほんのちょっとした確認作業というのは、大事ですね。

 

これもちなみに、余りに時間をかけてマイナスを与え続けた場合は、急にちょっとそうした事を行っても、まだまだ借金があるから、「うん、おかあさんありがとう」みたいな答えにはならず、

「別にっ!」

みたいになるかもしれない。笑

その場合は、時間をかけてコツコツそうした事に取り組んで行けば、借金の返済も完済し、いずれ心開くようになるでしょう。

betuni

 

この記事は昨日書いていて、アップするのを忘れていたのですが、「別に」で、画像を探すのとついでに、沢尻さんのことを、少し調べたりしていた。

それで今日沢尻さんのニュースを聞いて、私も少し驚いた。これも何らかの直感が働いたのだろうか。

また私マーシー好きなものだから、ブログに何度か書いていたことがありましたが、最近マーシーがYouTubeやっていたのを知って、少し見ていた。

興味があるのは、何故やり続けてしまうのか、ということではあるのですが、YouTube結構面白い。笑

もしかしたら、それも関係しているのかもしれない。

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