今年最後のセミナー

早いもので、2019年、令和元年の旭川での整体、セミナーは終わりました。

前回のセミナーに初めて参加した、男子大学生は、野球をやっていて、後輩を指導する立場にもなり、怪我しない体作りなどに、関心があって来てくれたのですが、常識的なこととは違う、本質的なことを教えたりもするので、どうかなとも思いましたが、

「次は先生の施術も受けてみたい」とも言ってくれ、勉強になったようです。

また結構勉強しているようで、旭川の指導者だって知らない、初動負荷理論も知っていました。

 

でもまぁ、思い出せば、私もそれぐらいの頃、トレーニングとか体のことに色々関心があって、勉強していました。

また「早く一流にならなきゃいけないんだ!」と何故か焦っていた。

その頃から考えれば、私もいくらか年を重ね、いつしか教えるようになり、時が経つのは早いもんです。


 

ちなみにセミナーでやったことは、基本の基本、基礎の基礎、本質の体作りみたいなこと。

これがずれているのなら、後のものは全てずれるし、全て間違う。

基本というのは、決して易しいものではなく、一番奥が深く難しいものです。だから武道では、「基本に始まり、基本に終わる」、という言葉がある。

 

しかし基本は、よく分からなかったり、面白くなかったりもする。

だからテレビや雑誌などでは、基本を取り扱わない。それよりも、変わり映えするテクニックが一般的には人気のため、ちょっと変わったテクニック、真新しいテクニックを扱う。

 

何事もいい悪いというのはなく、自分が本質を好きであれば、本質を学べばいいし、テクニックが好きであれば、テクニックを学べばいいだけのことですが、本質からかけ離れていたのであれば、プロなどの高いレベルにはなれない。

またプロなどの高いレベルを目指しているのに、本質を無視したことを行っているなら、それは間違っていると言えるかもしれない。

それだけのことです。

 

よく本に書かれていることをやったけど、同じようにならなかったことってありますよね?金儲けの本にしろ、成功本にしろ、子育て本にしろ、スポーツの本にしろ。

また一流アスリートの親の子育て法だったり、一流アスリートの練習法だったり、そうしたことを真似しても、同じような結果にはまずならない。

もちろんやっている時は、そうなれると信じて取り組んでいる訳ですが、それをやったとしても、そこに書かかれていない、基礎的なこと、基本的なこと、本質的なこと、前提条件がずれているなどの違いがある。

だからどんなに一流のテクニック的なことを真似した所で、決して同じになることはない。

 

もし本当に同じようになりたいのであれば、テクニック的なことに惑わされず、もっと本質を学び、基礎や基本を身に付けることです。

スポーツをやっている子供に、水泳をやらせるとか、ダンスをやらせるとか、そんなものは、あくまでも一つの方法であって、重要なことではないですね。

 

今はスポーツも余り教えなくなりましたが、以前は子供がスポーツをやっている親が、トレーニングを教えてくれとやって来ていた。

だけど当然トレーニングも教えるのだけど、私が教えたいのは、パフォーマンスを上げる方法なのです。

でもそうした人は、パフォーマンスを上げる方法ではなく、トレーニングの大ファンのようで、とにかくトレーニングを知りたがった。

 

当たり前のことだけど、トレーニングというのは、あくまでパフォーマンスを上げるために行うものであって、トレーニングのためのトレーニングを行うものではない。

しかし少し考えれば、誰でも分かるようなことが、子供がスポーツをやりだし、親が熱心になると分からなくなる。

不思議というか、人間の心理は面白いものですが、プロの話を素直に聞けば、パフォーマンスはどんどん上がって行くのに、パフォーマンスが上がらない方法を、知りたくて知りたくてしょうがないのです。

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今思えば、本人がそれを知りたいというのだから、その人に合わせ、本人が喜ぶ適当なことを教えておけばよかったのでしょうが、そんなの教えた所で、その子はパフォーマンスなんて、大して上がらないし、怪我もするし、ダメだと分かっている方法を、教えることは好きではなかったですからね。

 

また私は人生で考えるようにしていますが、人生で考えれば、スポーツのパフォーマンスが上がるとか、上がらないというのは、大した問題ではなく、葉っぱ一枚程度の、ほんの小さなこと。

もちろん私の考えや方法を提案はするけど、本人の意思を尊重するようにしているから、本人の意思を無視してまで、こちらの考えや価値観を押し付けることはせず、本人がやりたいと思っていることを、まずやってみるべきだ、という考えも持っている。

 

また若い内は、粋がったりもするものですが、考えてみれば、何も経験しないよりは、折角の人生なのだから、人生の中で、一度くらい粋がってみるのも、悪くはないのではないかと思う。

人生を振り返った時に、何も無いよりは、そうした経験が多少ならずともあった方が、楽しいのではないだろうか?

失敗にしても、失敗しないと分からないものも多くあり、失敗したからこそ、成長出来たりもする。

 

それを失敗してはいけないからと、失敗をさせないようにすることは、公園の遊具が危ないから、ブランコも、滑り台も、雲梯も、全部取り除いて、お家でファミコンでもして過ごしなさい、というようなものでしょう。

人生というのは、体験するために、わざわざ生まれてきた訳ですからね。

 

だから少しスピリチュアル的な考え方から言えば、どんな人生を選択し、歩もうとも、失敗や間違いというのはあり得ない。

人間と言う視点から考えれば、あれは嫌だとか何だとかと考えても、もっと上の視点、魂的な視点など、俯瞰して見れば、本人やその周りの人が、失敗だとか間違いだとか思ったとしても、失敗も間違いも何もない。

もし生きている中で、ああいうのは嫌だなだとかと思えば、自分がいいと思うものを選択するだけです。

 

自分が何を学びたいのか?

自分が何をしたいのか?

 

それをより具体的なものとし、はっきりさせれば、自分が目的としているものを手に入れやすくなる。

 

逆に漠然としていれば、「漠然とした質問には、漠然とした答えにしかならない」ように、漠然としたものが返って来る。

また自分では具体的なつもりでも、具体的にまで至っていなく、自分が何を求めているのかがはっきり分かっていない。

 

トレーニングのためのトレーニングを求めるみたいに、自分で無意識に前提条件を作り出し、根本的な所から、考えが間違っていることも多いですからね。

そうすると、後のことは全て間違う。

 

私は常識的なことは余り教えず、本質的なことを教えていて、また本人が変わって行く方法を教えています。

そうすると、テクニックを知りたい人や、変わりたくない人にとっては、「そんなことを知りたいんじゃない!」とか、「余計なお世話だ!」となるでしょう。

逆に本質的なことを習いたい、プロの考えを学びたい、自分を変える方法を知りたい、という人であれば、自分が探していたものが、見つかるんじゃないかと思います。

そういう人がいましたら、来年セミナーに参加してみてください。

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