他人を信用しないから上手く

私は他人が言っていることは、余り信用していません。笑

もちろん信用していないと言っても、全く信用していない訳ではない。

信用しているものは当然ある。

しかし、基本的に、「そうなのかな?」とは思うものの、鵜呑みにはしない。

 

沖ヨガ創始者、沖正弘先生が、

「信じるな!疑うな!確かめろ!」

とおっしゃっていましたが、それを心がけているのです。

だから鵜呑みにもしないけど、逆に端から否定もしない。


 

自分の考えと違うものには、「そんな訳ないだろ!」「それはないな!」と、端から否定する人は多いですよね?

私は余りそういうことはしないのです。

もしかしたら自分が間違っていて、それが正しい可能性もあるので、念のため確かめる。

場合によっては、分かるまで、結果が出るまでに1年とか、2年とかかかることもありますが、それによって、「それはやっぱり違っていたな」、「自分の考えが正しかったな」と、初めて確信を得たりするのです。

 

鵜呑みにする人にしても、端から否定し、決めかかる人にしても、共通していることは、確かめないことで、1~10まで全て確かめることは、現実的には不可能に近いですが、特に自分にとって重要なことに関しては、確かめる必要があると思います。

嘘を教えられたら嫌ですからね。

しかし、殆どの人は確かめない。

 

教科書を暗記することは、手間がかかり面倒くさいことですが、それよりもっと面倒なことは、教科書に書かれていることが、正しいかどうかを確かめること、調べることで、自分自身で確かめ調べることが、一番手間暇かかって面倒なんです。

それに比べれば、本に書かれていることを覚えることなどは、実は簡単なことであるため、

「お偉いさんが言っているのだから、それは正しいのだろう」

ということにしておく。

またそれだけ大変面倒くさいことは、誰もやらないから、お偉いさんは、騙そうと思えば、簡単に庶民を騙すことが出来る。

 

私自身も、最近まで蝉の寿命は1週間ぐらいだと、ずっと騙され続けていました。笑

高校生がそれを本当にそうなのかを、実際に調べて違ったことを証明した。

それまで世の中の人、皆騙されていたもんだから面白いですよね。

だけど、本当はそれも、自分で調べていないものだから、もしかしたら違うなんてこともあり得るため、確かめなければならない。

 

スポーツでプロを目指しているとか、高い夢や目標があったとしても、全く確かめないもので、慣例的な練習、伝統的な練習や考えを、何も疑わずに鵜呑みにし、行ったりしている。

それで私なんかは、根本的な所から見直して、検証したりしますが、またそれを折角教えたとしても、「そんな訳あるか!」と、文句を言われることになるでしょう。

 

たとえば、私はウォーミングアップで子供にランニングは勧めませんが、それを教えることというのは、相当画期的な考え、練習法を教えていることになるのですが、価値の分からない人にそんな凄いことを教えたら、

「聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。」(マタイ七:六)

と、聖書の教え通りになる。

 

新しいものを受け入れ、確かめたりするよりは、今までやってきたものを鵜呑みにし、たとえそれが間違いであっても、やり続けることを選ぶのです。

普段の練習にしても、常に確かめ続けて行かなければなりませんが、余り確かめるとか、検証するとことに慣れていないのか、それが行われていない。

ただ何も考えず、練習メニューをこなす。

 

怪我でもしたなら、何か練習やトレーニングが、間違っていたんじゃないかと思いそうなものだけど、個人的に才能が無かった、個人的な肉体の問題だのように考えてしまう。

だから多くの人が、整体の施術を受ければ治ると思っているのです。

確かに施術で痛みなどの症状が改善されたりしますが、原因があるのだから、原因を変えずに治る訳ないし、一番重要なことは、痛みなどを取る事以上に、練習やトレーニングなどの見直しであるように思うのだけど、そう思える人が少ないですね。

 

整体をする、スポーツの指導をするにしても、私は基本的に他人を信用していません。

言葉でそんな風に言えば、マイナスに囚われるかもしれませんが、逆に信用と言うより、鵜呑みにしたらどうなるでしょうか?

 

たとえば腰が痛いと言って来る人がいます。

しかしよくよく話を聞いたり、確かめると、実は腰ではなくて、お尻だった何ていうことがよくある。

それを本人が腰が痛いからと、腰の施術をしていたのでは、症状を取る事は出来ない。

 

また本人は原因など、何かに関して、こう思うと言ったとします。

しかしそれを鵜呑みにして、もしそれが間違っていたなら、当然ながら見当外れなアドバイスになってしまう。

またそれに対するアドバイスをしたのに、あのアドバイスは間違っていた、何て思われるかもしれない。

そもそも人は基本的に、本当のことは隠す性質があるから、表面的な言葉に惑わされず、言葉の真意、その裏に隠されたものを見る必要がある。

 

女性との付き合いでも、「ねぇ~、これとどっちが似合うかなぁ~」と質問された時、男性が、「こっちだね」何て言ったら、「あなたは何も分かっていない!」何てことになりますね。笑

男性にしたら、「はぁ?お前が聞いてきたんだろ」「だったら聞くな」となりますが、女性の立場にしたら、質問はしているけど、アドバイスなんか求めていなく、その言葉の裏にある気持ちをくみ取って貰いたい訳です。

 

それと同じことで、相手が言っていることを一々鵜呑みにしていたのでは、相手に振り回されることになったり、正確な判断、対処が出来なくなったりする。

会社の部下にしても、「上手く行ってます!」「出来てます!」の言葉だけで、それを鵜呑みにしたら、上司としてはまずいですね。

 

本人が考える上手く行っている、出来ていると、上司の考えるものとは違っていたりするし、部下の判断が間違えていることもあるし、場合によっては、嘘ついていることもある。

そうならないために、実際はどうなのか具体的に確かめなければならない。

それをしない以上、正確な判断など出来ないし、してはいけない。

 

逆に言えば、何でも鵜呑みにする上司と、具体的に確かめる上司と、どちらが信用できるのかと言えば、後者の方だと思います。

また、どうでもいい相手、その人がどうなろうと気にならない相手には、具体的に確かめたりすることなく、波風立たない様、「そうか。その調子で頑張りな」と、適当な同意をしたりすると思います。

そのため自分に都合のいいのは、確かめない上司のような人、簡単に同意してくれるような人で、本当の意味で自分のためになる人は、良く確かめ、調べ、考え、自分に都合の悪いアドバイスをしてくれる人かもしれない。

 

今までの自分、普段の生活にしても、一度振り返ってみると、いかに確かめていない、ただ上から流れてくる情報を鵜呑みにしていただけだったんだ、というのが、分かるのではないかと思います。

今流行っている体幹トレーニングにしても、本当に長友選手と同じやり方になっているのか、自分に合っているのか、子供に合っているのか、といったことも余り考えず、「お偉いさんが言っているから」と言う根拠で、人任せにしている。

 

蝉の一生がどうかなど、1から10まで全てを確かめる、調べることなどは出来ませんが、少なくても、自分に関する重要なことは、よく確かめる、調べる、確認するということは、しておいた方がいいですね。

いい事ばかり言われて、それを鵜呑みにして信じたら、実は全然違って大変な目に遭った、何てことにもなりかねない。

それは何も、テレビであるような反社会勢力による詐欺だとかだけのことではなく、就職にしろ、スポーツにしろ、身近に色んなことがあると思います。

 

会社の「報告」「連絡」「相談」の「ほうれんそう」のように、自分だけで分からないこと、また重要なことは特に、自分を過信することなく、誰か上の人に「報・連・相」をしたり、専門家にアドバイスして貰う、確認して貰うと言うのもいいでしょう。

それをしないで、自分の考え方やり方が間違っていた時には、大きな遠回りになったり、やり直しがきかなくなったりする。

健康のことなども、整体を受けていれば、もっと違ったのになと思うことが多いですが、自分の考えを過信し、確認しなかったのです。

 

また鵜呑みにしたり、端から否定するようなことをせず、確かめることは、真実に近づくことは当然ながら、相手に振り回されにくくなり、信頼を得たり、色んな情報を吸収できることにも、繋がります。

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