本当の自分を知っていますか?

自分とは、誰よりも一番付き合いが長い。

だから当然、自分が一番自分のことを分かっていると思うものですが、むしろ自分が一番自分のことを分かっていなかったりもする。

自分の子供などのことにしてもそうですが、自分に関わるものの方が、難しいのです。

 

もちろん誰よりも長く付き合っているから、昨日どこに行った、何食べたとか、どこの学校に行ったというようなことに関しては、誰よりも知っていると思います。

だから「自分のことは自分がよく知っている!」「他人に何が分かるんだ!」となったりもしますが、そうしたこと以外のことが、自分ではとても分かりにくいのです。


 

最近勝利至上主義の話をしましたが、自分ではそうでないと思っていても、実はそうだったとかもそうだし、自分の長所、得意なことも自分ではよく分からなったりもする。

「なんでこんなことも分からない」、「なんで出来ないんだ」と思うのも、自分が出来ることが当たり前で、自分が得意なことだと分かっていなく、他の人も皆そうだろうという錯覚からくる。

また逆に短所、苦手なことなど、たとえば足が遅いとして、自分には速く走る能力はないんだと、自分で限界を決め、自分のことを分かったつもりになりますが、それは自分でそう思っているだけ、決めつけているだけで、プロに習ったら実は違ったなんてことがある。

 

そうしたように、自分のことは分かっているようでも、案外余り分かっていないのです。

実はこれがストレスの大きな原因になっている。

 

何故ストレスになるかというと、自分のやりたいこととは、違うことをやったりするからです。しかし自分が何をやりたいかが、分かっているようで分かっていない。

また自分の意識では、これがやりたいことだと思っていても、本当の自分はそう思っていなかったりする。

 

たとえば「これは子供のためなんだ」と思って、それが本当に自分のやりたいことであれば、それ程ストレスにはなりません。

しかし実際にストレスになっていたり、子供と上手くいってなかったりするのは、子供のためだと言い聞かせて行っているだけで、それが自分が本当にやりたいことではないからです。

 

ではなぜ、本当にやりたいことではないのに、それをやるのかというと、そうしなければならないんだ、という情報を親や学校、メディア、社会から刷り込まれ、洗脳されてきたため。

だから自分のやりたいことをやってはいけないと考え、自分の本当の気持ちを押し殺し、「これは子供のためなんだ」と自分を言い聞かせ、それが本当の自分の気持ちなんだと、知らず知らずの内に、イカサマ宗教に洗脳されている人みたいになる。

誰もまさか自分が洗脳されているとは思いませんからね。

それで洗脳されている人を見て、精神が弱いからとか、可哀そうだなと、他人事として考える。

 

もう一つ、これは少し難しい話なんですが、誰かに腹が立って、恨みを持ったりしますよね?

そうすると、恨みを持っているから、それが自分の気持ちなんだ、本当にそう思っていることなんだと思う。

しかし、それは確かにそうなんだけど、本当の自分の気持ちって違うんです。

その恨みを持つ前に、不安な気持ちがあった、悲しい気持ちがあった、寂しい気持ちがあった、というのがあって、そのあとに出てくる感情が恨みだったりする。

その本当の自分の感情に気が付けないのです。

 

よく第一印象が大事、第一印象は当たるといったりします。

またしばらく付き合っていく内に、第一印象とは違ったなんてこともよくある。

第一印象が当たる、もしくは外れるということで言うと、ある人に会った瞬間、第一印象を受けますが、しかしそれは一瞬にして過ぎ去り、そのあとに今までの自分の知識や経験から印象付けるのが、大体の人の第一印象になる。

そうするとその第一印象は外れることになり、余計な考えを持たない人の第一印象は、当たる。

もしくは先入観や思い込みを持つ人でも、今までの常識にない強烈な人であれば、第一印象が持続し、その印象が残る。

 

ついでに言えば、直感が優れている人、予知ができる人というのも、こういうことです。

皆直感を持っているし、予知能力も持っている。しかし殆どの人は、それは一瞬にして過ぎるために、分からないのです。

 

話を戻すと、自分の本当の感情も、今までの数々の洗脳があって、一瞬で過ぎ去ってしまうため分からない。

その本当の自分の気持ちを無視して、違う考え、行動を取ることが、ストレスとなり、もっと言えば、病気になったり、どこかが痛くなったりする。

だから病気や痛みというのは、それ自体は余りいいものではないかもしれないのだけど、「本当のあなたはそうじゃないんだよ」、と教えてくれるサインです。

 

以前に完璧に施術するほど、余計おかしくなったりすると言いましたが、結局その部分が変わらない限り、サインは出続けることになる。

ついでに言えば、そうした施術をすると、私自身も何者からか、「学びのために必要なんだ」みたいな感じで、お叱りを受けることもある。

治るためには、本人が気づいて、変わるしかない。

ただ一気に全てを変えることは難しいから、無理の無い範囲で、少しずつ取り組んでいったらいいんじゃないでしょうか。

 

考えてみれば、自分とはこんなに身近な存在なのに、鏡や映像では、見たことあっても、生の自分に一度も会ったことがないんですね。

だから自分が見えない、分からないなんて言うことは、むしろ当たり前のことかもしれない。

また自分に会おう会おうと、どんなに走って追っかけたって、その方法では自分に会えない。じゃあどうしたら自分に会えるのかというと、内側にいる。

内側を見つめていれば、その内自分に出会える。

 

令和時代は新しい時代、ゼロの時代になるので、今までの情報は一回リセットし、初心に帰るというか、自分に出会う旅に出かけてみるのもいいと思います。

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