正しい判断が出来ているか?

自分が正常だと思うから、正常かというのは全く違う。

歪みにしても、センサーが正常な人は、違和感を感じることが出来ますが、センサーが完全にマヒした人は、必ずしも歪んでいるとは思わない。

自分では、正常だと考える。

 

よく肩がすごい凝っているのに、それに気づいていない人っていますよね?

自分では肩は凝っていない、正常だと考えるのだけど、他の人が触るとカチカチに硬くなっていて、実際には肩が凝っている。


最近来てくれた中学生の男の子ですが、施術をした後に「どう?」と聞いても、体の変化が分からなかった。

しかし後日、泳ぎやすく、タイムが1秒ぐらいだったか伸びていて、施術の効果が分かったそうです。

また2回目の施術の後には、体が軽くなったことが、分かるようになっていました。

 

私の施術は、一般的なマッサージなどとは違うので、通常は体の変化をはっきり感じ取ることが出来ます。しかしそれを感じ取れないのは、体の感覚が完全に麻痺していたのです。

しかし本人のセンサーは麻痺はしていても、施術の効果はあるから、タイムが伸びる。

また二回の施術で、感覚が戻ってきて、変化を感じ取れるようになったのです。

 

このケースでは、水泳のタイムという指標があったから、施術に効果があったんだということが分かりましたが、それがなければ、ずっと施術の効果や変化に気づけなかったでしょう。

現にそういう人はいるのではないかと思います。

 

今は感覚が恐ろしい程、鈍くなってしまっているような人をみる機会は、余りありませんが、施術で明らかに変わっているのに、本人はまるで気づかない人というのは、時折いました。

 

女性がお友達と二人で一緒に来ることなどがありましたが、そういう時は面白くて、本人は分からないのですが、一緒にいる人が、その変化に気づく。

顔が全然違うんです。

それが余りに変わっているものだから、一緒に来ている人が、おかしくて笑うんですね。

でも本人は分からない。

 

またこれは結構前の話ですが、五十代か六十代ぐらいの女性を施術したのですが、肩甲骨が恐ろしく固まっていたため、その施術をした。

「どうですか?」と聞いて、私としては、

「羽が生えたように肩が軽いです!」

とでも言うのかと思いましたら、「分からない」という。

「ええぇっ!?」

と思って、「肩を動かして下さい」と言うと、今度は驚いた顔をして、「軽いです!」と言う。

 

それで少しは気が収まりましたが、それがあって、肩甲骨を使わない人に肩甲骨の施術しても、無駄だなと思いましたね。

包丁を使わない人の包丁を研いであげたって、無駄なことでしょう。

施術を受けるよりも、まず肩甲骨を使うことを勉強しなければならない。

 

知らない人は、腕のいい先生の施術を受けさえすればよくなるんだろう、と考えるのでしょうが、決してそうではないです。

天才と呼ばれる芸術家の作品を、凡人が見ても余り良く分からなかったりするのと同じように、高い技術のある施術、効果のある施術であっても、必ずしもそれが分かるとは限らない。

 

昨日運気が落ちまくっている人はみることが出来ないと言いましたが、感覚が鈍くなり過ぎる所まで行くと、施術を受けても分からない。

またそういう人は、自分が正しく、相手が間違っていると考えてしまうから、何でもこっちのせいにされてしまう。

 

寝違いみたいに首痛めた人で、ちょっと動かして痛いと言って人を施術して、首を回せるようにし、「どうですか?」と聞いたら、360度回そうとするぐらいに動かして、「痛いです」なんて普通に言いますからね。

痛みを取ったって、痛みを無理やり作り出し、効果が無かったようにする。

 

ちなみにそういうタイプの人は、私もお蔭で勉強になりましたが、都合の悪いことは直ぐ忘れてしまうので、3回念を押して確認するかのような振りをして、記憶させるようにする。

そうしないと、施術前の体の状態を必ず忘れてしまう。

治る事はその人にとって都合の悪いことなのです。

 

治しに来て、治る事が都合悪いとは、面白いんですけどね。

でも全員ではないですが、頭の固いおじさんタイプみたいな人は、特にそうです。

 

ただ日本人全体の傾向として、疑り深いというか、感性がないというか、リアクションが悪い所はあります。

これが外国人だったら、

 

オ~マイゴット !!

 

グレイト!!

 

と、リアクションがいいんです。

そんな感じで喜んで貰えると、こっちとしても嬉しい。

 

話を戻しますと、直接的な判断、主観による判断は、正確な判断が出来ないことがあり、それに頼り過ぎることは危険なことなのです。

スポーツの子育てで、親が子供に教えますが、それは自分の主観で正しいと思って教えている。

それだけでは、いつまでも間違いに気づかずに、子供の素質や才能を潰したり、怪我させることに繋がってしまう。

 

人は自信があるかないかで、正しいかどうかを判断してしまう所があり、特に自分が絶対に正しいんだと思うと、それが真実であるかのようにも、思ってしまいます。

しかしそれは、自分が絶対に正しいんだと思っただけのことであり、真実かどうかは、また別な問題で、自信の無い人の方が、真実であったなんてこともある。

 

年末に放送される、芸能人格付けチェックを見ても分かるように、人は自信満々で平気で間違いを犯す訳です。

逆に自信ない人の方が正しかったのに、自信ある人に任せて失敗していることもある。

 

自信などの主観的な判断だけでは、本当に正しいかどうかの判断は難しく、何か別の判断材料がいりますが、確率論的なことから考えれば、一つは昨日言ったように、疲れが溜まっていると、全体的な選択の確率、もしくは重要な選択では間違う確率が高い。

パニック起こしている時に、まともな考えなど出来ませんが、疲れが溜まっていても同じですね。

 

だから、

「今は疲れているから判断が間違っている可能性が高い。今正しいと思うものの、逆をやってみよう」

なんてする方が、全体的にはもしかしたら正しくなるかもしれない。

 

それと、本当の自信であればいいのですが、基本的に私は自信のある人は、余り信用していません。

不安を隠すために、虚構の自信で武装しているに過ぎないからです。

一々、「あの青の信号は絶対に進めなんだ!」などとは、思わないですからね。

もし自分の中で自信を持って信じているものがあれば、その根拠が何なのか、本当に正しいのかどうかを、一回考えてみても、いいかもしれません。

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