煽り運転の男、捕まったようですね。相当悪質でしたから、暫く反省し、心を入れ替えて頂きたいものです。
それにしても殴られた人がいたお蔭で、逮捕して貰えた訳ですが、ただ自分であれば、殴られたくはない。笑
相手が下りて来た時点で、車が来ていなかったはずだし、助手席の女性が乗り込むまでの時間も出来るので、その間に逃げますかねぇ。
また、もし女性であれば、絶対に窓なんか開けなかったと思いますが、それを何故わざわざ窓を開けてしまったのかと言うと、油断からきたものだと思います。
恐らく殴られた人は、今まで喧嘩とか、危険な経験をしたことが、余り無いんじゃないでしょうか。
だから、
「まさか自分が殴られるはずがない!」
という頭があって、頭のおかしな相手にも、言えば分かると、窓を開けたのでしょうが、それは今までが、たまたまおかしな人に会ったことが無く、殴られなかっただけで、この先も危険な目に遭わないことの保障ではない。
危険な相手がいて、窓を開けて座っているというのは、こちらは全く攻撃が出来ず、それでいて、攻撃されれば避けることも難しいため、圧倒的に不利、危険な状態。
また相手は、あそこまでの煽り運転で、かなり頭のおかしい人だと分かりますが、歩き方、歩くスピードからも、かなりの興奮していて、何されるかは分からないし、
更に言えば、以前に事故があったように、高速道路のど真ん中に停まっているのだから、その人から攻撃を受ける可能性だけではなく、事故に遭う危険性も高く、場合によっては、命すら落としかねない。
そこまでの危険な状態であったことに気が付けず、わざわざ窓を開けて、危険回避が出来なかった。
また他に煽り運転を受けた人は、殴られてはいないことから考えれば、当然相手が悪いのは、悪いのだけだけれども、殴られたことは自分が招いたことだと言えなくもないでしょう。
もちろん冷静な状態と、頭に血が上っていたり、パニックを起こしている場合では、正常な判断が出来なくなり、視野も狭くなったりするため違うのですが、それでも大体の人なら、自分の正当性を主張する以前に、「ヤバいぞ!」、「危ないぞ!」となる。
本人にすれば、怖い思いをしたり、殴られて怪我したり、とんだ災難でしたが、ただその経験から、リスクに対する考えを、多少学べたんじゃないかと思います。
またこんな時、
「自分にも原因があるんだぞ」
何て言われたって、余り納得いくものではありませんが、
「そこまで危険だった状況を、気づいていなかったんだぞ!」
ということを理解すれば、
「そうだったのか。命を落とさないでラッキーだったんだな」
となるかもしれませんね。
そこまでの危険性に気づかなければ、そうはならないですけど。
油断というのは、普段から何かあるなら、警戒していて油断することは少ないと思います。
だから当たり前なんだけど、大丈夫な時、上手く行っている時の方が油断する時で、危険なんです。
しかし上手く行っていると、上手く行っているんだと考える。
殴られた男性も、「普段殴られることがなく、リスク回避が出来ていて、上手く行っている。だからこの先も殴られない」となって、油断が生じた。
本当に上手く行っているのであればいいのだけど、本当に上手く行っているものと、表面的に上手く行っているものの判断が、とても難しいのです。
だから油断大敵で、油断が最も危険な敵なんです。
今病気していなかったなら、もしくは痛みなどの症状がなかったり、死んでいなかったら、食生活が悪い、運動不足などのことがあっても、自分は病気にならない、大丈夫なんだと考えたりしますよね?
また今は大丈夫だから、今後も大丈夫だろうと、体のケアをしなかったり、怠ったりしますよね?
他にも自分は事故は起こさないと考えたり、家族、恋人がずっといる、死なないと考えたり、災害なんか起こらないとか、会社は潰れないとか、リストラされないとか、今当たり前に思っていることが、今後も続くと思ってしまう。
また機会が次もあると思うから、今度でもいいかと油断や甘えが生じて、ベストな選択が出来なくなる。
逆に「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」と言うように、もしそこまで出来る人は相当な人で、後悔することはない。
東尾理子さんなんかも、「明日死んでも、後悔しないように生きたい」と考え行動されているそうですが、スティーブジョブズにしろ、成功する人は、そうした考えを持っています。
本当に上手く行っているのであれば、当たり前のことながら、それでいいのです。しかしそれが、
もし勘違いだったら?
もし間違っていたとしたら?
間違いに気づかず、それをやり続けることになり、その結果、体を痛めたり、病気になったり、大きな間違いや失敗をしたり、夢を叶えるなど成功出来なかったり、下手をすれば命を落とすことだってある。
それが危険なんですね。万が一がありますからね。
ただ正しいかどうかの判断が難しい訳ですが、殆どの人は明日死んでも後悔の無いようには生きてはいないし、人間は間違いをする性質があり、万が一の場合も考えれば、基本的には正しいと考えるよりも、上手く行っていたとしても、
「どこか間違っているんじゃないか?」
と考えた方がいいのではないかと思います。
自信満々な人程、酷い間違いを犯したりしている。
試験を受けるにしても、大事な試験程、念には念を入れて、確かめると思います。
中には、本当に実力があり、本当の自信を持っている人もいるとは思いますが、大体は最後の最後まで、念には念を入れ確認作業をするし、それが終わった後に、心を落ち着かせたりしますが、
それをしないで、
「自分は出来ている!」「全部覚えているんだ!」
何て思っている人は、油断してミスしたり、実は覚えていなかったり、と言うことがあると思います。
スポーツでも、旭川の試合で少し勝った、旭川の中で少し上手くなった、だからプロになれるかもしれない、などと考えられたりしますが、完全な油断。
客観的に考えることが出来れば、
「プロになることと、何か関係あるの?」
と思うのだけど、旭川と言う組織の中にいると、それ以外の世界が見えなくなる。
過去の歴史から考えて、それを大幅に上回るレベルだというのなら、可能性は高いかもしれませんが、同じレベル、もしくはそれ以下のレベルであったなら、客観的に考えて難しいでしょう。
全国大会に行ったって、プロになれない人は大勢いますからね。
また全国優勝したチームのスタメンであっても、プロになれるのは、多くてわずか3人とかでしょうか。
もっと言えば、大阪桐蔭高校の4番打者だった、田端良基さんは、高校2年生時の打率ランキングでは.561で全国1位であったにも関わらず、プロになれなかった。
全国1位ですよ!
そういうことを余り考えず、少し勝ったことで、ちやほやされたり、「凄いんだ」「出来てるんだ」「上手く行っているんだ」なんて、思ってしまうと、油断が生じて取り返しがつかなくなる。
目的がプロに成る事から、ちやほやされることや、レギュラーになることなどに、いつの間にかずれてしまうのです。
会社員であれば、よくほうれんそうが大事だと言われています。
「報・連・相」
「報告」「連絡」「相談」ですね。
小まめに「報・連・相」をしなければ、上司は正確な状況判断は出来ないし、新人など、実力が無い人であれば、とんでもないことになっていたりする。
テストした時でも、答え合わせして、本当に合っているかどうか、間違っているかどうか、正解は何かを確かめますが、それをしなかったら効率が悪いし、間違ったまま覚えて、本番のテストでそれをやってしまうかもしれない。
武道の世界などで、独立を許されたレベルであればいいですが、そうでない場合、必ず我流になる。
1度のズレは、手元では気にならない程ですが、たった1度のズレであっても、その延長で行った場合は、とんでもないズレとなり、またそれが1度でも酷いのに、10度ズレてます、30度ズレてます、50度、90度、120度となれば、「本当にあの道を目指していたの?」と言うぐらいの違いとなり、元の軌道に修正することは難しい。
そのため、合ってればいいのだけど、熱心に努力した人程、それが間違っていた場合は、それを止めて正しいやり方に変えることが出来ず、後戻りが出来なくなって、成功出来なくなったりする。
自分が正しいと思うから正しいというのは、必ずしも真実ではないから、天才的な人でなければ、客観的な判断が必要です。
その時に、大抵の人は数字や結果など、直ぐ分かるもの、誰にでも分かるもの、自分で分かるもので判断する。
しかし大事な所は、数字や結果に出ていない所で、判断出来ているかどうかです。
体であれば、痛みが無いから健康だ、何て考えたりしますが、それではないということです。
もちろんたとえば野球でピッチャーやっていて、今大会注目のナンバーワンピッチャー、と言われているレベルなら、プロに成れる可能性は高いですが、甲子園に行きましたぐらいの結果では、他にもいっぱいいるのだから、難しい。
確認作業と正確な判断は、自分一人では出来なかったりするので、時折健康診断受けたり、車検出したり、整体受けたり、専門家の指導を受けたりする訳で、特に大きなもの、重要なものであればある程、必要になる。
小学生で勉強できていたけど、中学で勉強が嫌になってバーンアウトしたとか、小学生でピッチャーで活躍したけど、手術して野球が出来なくなったなど、色んなことがあります。
それはその時は上手く行っていたと考えていた。
上手く行っていると思っている時ほど、浮かれやすくもなるから、気を付けないといけなくなる。
油断が一番の敵で、それはわざわざ自分で一番強い敵を作り出すことはないでしょう。
人間だから、どうしてもちょっとした間違いぐらいはやってしまうものですが、日々細かい修正を続けながら、バブルに浮かれてはじける様なことは、避けたいものです。