病気や痛みは自分で作り出す

もしかしたら残念なことなのかもしれませんが、全ての病気や痛みは、自分で作り出している。

これの理解はとても難しい。しかしまずは全てだとは考えず、少しずつ理解して行けばいいでしょう。

 

たとえば関節痛になるというのは、肉体的なことで言えば、体の使い方が間違っているよと教えてくれている。

スポーツであれば、体の使い方、練習、トレーニングが間違っている、ついでに肉体的以外のことまで言えば、考え方が間違っている、ストレスがある、ということを教えてくれている。

 

先生が悪い、親が悪い、もしかしたら先祖が悪い、何て考え方もあるのかもしれないですけど、自分が変わりさえすれば、変わる事であるから、自分で作り出していると考えられる訳です。


 

この間のセミナーで、生と死は全て必然だという話をして、その中で、私がお店に行った時の席の選び方を話したのですが、大抵は自由に座れる場合、既に座っている人との関係で、空いている席を探したり、移動しやすいなど便利な席を探して座ったりする。

その他にエアコンやトイレの位置を考えたりする人もいるかもしれない。

 

私はそうしたことの他に、全体を見渡せるような席だったり、変な人がいないかどうか、非常口はどこか、更には車が突っ込んでくる可能性はどうかまで考える。

そんな話をすると、「車が突っ込んでくるなんて考えたこともありませんでした」と驚かれましたが、絶対なくもないですよね?

 

もちろん全ての条件を満たすことなどはないですが、それでもそうしたことが頭にあって座るのと、ただ座るのとでは、リスクが違う。

そうすると、事故などに遭った場合、相手に対し、「とんでもない奴だ!」「謝罪しろ!」などとなったりもしますが、それ以前に、事故に遭う遭わないなども、ある程度自分で決めれることかもしれない。

 

武道の達人なんかは、危険を事前に察知できるから、基本的に事故には遭いません。

合気道を創った不世出の達人、植芝盛平は、電車の切符を買って、電車に乗ろうとした時に、「やめた」と言って、電車に乗らなかったことが度々あり、お供していたお弟子さんが、困ったそうです。

それも恐らく何かを察知していたのでしょう。

何でも体から黄金の線、センサーのようなものが出ていて、色々察知していたらしいです。

達人にはそうなれるものではありませんが、武道をやるかどうかも自分で決められるし、もしかしたら達人になるかどうかも、自分で決めれるかもしれない。

 

こうしたように、自分で決めていることというのは、意識にないだけで、自分が思っている以上にある。

「才能がないからだ」「あの人だから出来るんだ」「これは仕方ないんだ」のように言う人がいますが、客観的に見た場合、「そうやっているからだろう」「何言っているんだ」と思うことはあると思います。

そうすると自分が同じように思うことも、他の人から見ると、また同じだったりもする。

自分のことを客観的に見みることは難しかったりしますが、客観的に見てみたり、意識していない所が分かってくれば、少しずつ病気や痛みというのは、自分で作り出している事かもしれない、となるのではないかと思います。

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