一流のアスリートに育てた親が、「この子はちょっと違う」と、感じていたことですが、まず親が運動に関心がなければ、プラスチックバットすら、買い与えることもないので、
そういう親は、子供に才能があったとしても、才能を感じようもなく、また才能を伸ばすような子育てもしないでしょう。
また一流に育てるような親は、他の親と育て方が違っている可能性があり、そのため知らぬ間に差がついていて、「この子は少し違うのではないか」と感じる可能性がある。
そうしたことも考えると、才能の定義にもよりますが、生まれた段階での、才能の差が大きな問題ではないかもしれません。
時折、「生まれた星が違う」のようにも、言われたりすることもありますが、あえて言えば、親が違うと言うことでしょうか。
子供は皆、何かしら感性を持っている。
しかし、親に感性がないとそれに気づかない。また気づいたとしても、「凄いねぇ」程度で終わらせてしまう。
一流のアスリートに育てた親は、それを見抜いて、また見て見ぬふりをするような感じではなく、それを伸ばそうと、とことん付き合った。
その結果、一流のアスリートを育てることが出来たのではないでしょうか。