最近スクール生たちと合気道を行ったりしましたが、合気道は体が解れるので、その内またやろうかと思います。
合気道は一般的でもないので、よく分からない人もいれば、面白そうだとか、あんなの嘘じゃないのと思う人もいるかもしれませんが、一つ言えば、合気道をやって達人になれる確率は、野球をやってイチローになれる確率と同じようなものです。
合気道をやったからといって、達人にはなれない。
というより、99%の人は達人にはなれない。そう言えば嘘くさいと思う人でも、少しは納得がいくでしょう。
警察官だから正義感が必ずしもあるとは限らならない様に、全ては個人的な問題なのです。
合気道で面白い所は、色々ありますが、まず相手と一つになる事を目標にする所。やっつけるとか、ぶん殴るとか、相手に勝つとかそういった考えではなく、一つにならなければならない。
これがスポーツや他の格闘技や武道とは少し違う所で、またとても難しいことで、それを稽古する訳です。合気道は動く禅とも言われたりしましたが、心の稽古でもあります。
それとやっぱり不思議な感じが面白いですね。と言っても合気道をやっている人が、それが出来る訳ではありません。
昔、「合気道をやっている人は皆達人なのかな」、なんて思っていましたが、達人みたいな人は一人もいませんでした。笑 また講習会のようなものがあって、そこには150人ぐらいが集まったりもするのですが、それだけの人数がいても、達人みたいなことが出来る人は一人もいなかった。
それを見て、「これじゃダメだな。この人たちの言う事を信じて稽古していたのでは、絶対に成れないだろうな」と思ったのです。笑
スポーツでも、一般の先生の言う事を真面目に聞いて、そのやり方をやっていたのでは、とてもプロにはなれないのと同じ。
合気道は年を取ればとるほど強くなると言われますが、それは達人などの話であって、ほとんどの人は年を取ればとるほど衰えていきます。 その違いは何なのかというと、技しかやってこなかったから。
技術と言う言葉は、技と術に分解できる。しかし技は知っているけど、術は知らない。だから合気道を何年もやっていれば、誰でも技を覚えることが出来ますが、術の勉強はしないので、技を覚えた所で成長は止まる。
後はやる事がないから、おじさんなどは初心者の女性を相手に教え魔をやる。
またよく歌手が何回も同じ曲を歌っていると飽きてきてアレンジしますが、それと同じで一つの技からやることを見つけることが出来なければ、飽きてしまって、色々な技をやるようになる。しかし技の数が増えた所で、実際には使い物になりません。
もちろん普通にやっていたのでは、年とともに筋力も柔軟性も落ちていくから、当然衰えていく。
術というのは、簡単に言えば中身のことです。人を外見で判断することは簡単で、その人の内面を見ることは難しい様に、技の中身を見ることは難しい。
スポーツでもパフォーマンスの中身を見ることが出来ないので、あれは天才だから出来ることだ、自分には才能がないんだとなる。
また手品が知られていない時に手品を見せれば、トリックが分からないので、神様の使いか何かに思われるでしょう。
術のレベルが上がっていかない人は、自分のやり方、自分の延長で技を稽古する。そうではなくていかに自分を否定するか。完全に自分を否定しなければならない。
否定が出来ないから技を覚えた所で成長が止まる。
スポーツでもやり始めは、簡単に言えば技を覚えていないから、練習すれば伸びていくし、体も大きくなるからパフォーマンスもあがる。それを見て、「将来はプロになれるかもしれんぞ」と思うのですが、術と言う面から見れば、「これではそれが終わった時点で止まるだろうな」と言うのが分かる。
一流アスリートと普通のアスリートの違い、一流の指導者と普通の指導者の違い、一流に育てる親とそうでない親との違い、それは自分のやり方でやるのか、自分を否定して理に適った方法を求めることが出来るのかの違い。
もう少しわかりやすく言えば、自分が正しいと思っている前提をいかに捨てることが出来るか。
基本的に全部自分が間違っていると考えた方が速いのです。
しかし殆どの場合、無意識で自分が正しいと思っているから、自分の考えと違うものに出くわした時に、「それは違う」、「それは無いな」、「才能だから」とか、もしくは言い訳が始まってしまう。だからその先に進まない。
自分が正しいと言う前提を外すことによって、初めて世界が拓けていく。