頭がいい人と悪い人ではココが違う

一般に学校の勉強が出来る人が、頭のいい人とされていますが、自分で考えることの出来る人が、本当の意味で頭のいい人だと思っています。

確かに学校の勉強が出来る人は、医者になったり収入が高い傾向にありますが、だからと言って、その人が幸せであるかどうかは別の話です。

親は子供の幸せを願うものですが、その幸せのために偏差値の高い大学に行かせようとしたりする。

しかしそれは、収入が高くなる傾向にあるというだけで、幸せの道とは別の話であるのだから、その道は、幸せの道を保障しているものではなく、あくまで収入が比較的高くなる道を勧めているのだという事を、自覚しておくべきです。


 

自分で口にしていることと、行動が伴っていなければ、どんどんおかしなことになります。子供なんかは感受性が強いので、嘘を言っている人がいれば、それを直ぐに見抜き、その人の言う事には従わないでしょう。

子供が親の言う事を、素直に受け入れなかったりする理由の一つは、言っていることに矛盾があり、それを感じ取って、親を信用していないためです。

 

学校の勉強が出来なくて死ぬ人はいませんが、頭が悪くて死ぬ人はいます。だから頭がよくなることは、大事なことではないかなと思っています。

中には、勉強が出来ない事を苦にして死ぬ人もいるのではないかと、考える人もいるかもしれませんが、

「1分以内にこの問題を解けなければ死ぬ」などのことが、行われているのであれば、それは学校の勉強が出来るかどうかは、生死に関わると言えますが、そうではないのだから、それはまた別の問題。です

では、自分で考えることの出来る人とは、具体的にどういった人かと言えば、一つは昨日説明したように、予防を出来る人が、頭のいい人になるのではないでしょうか。

 

人は失った時に、初めてその大切さに気づいたりします。

いつも腹が立って喧嘩ばかりしていたけど、親がいなくなった、家族がいなくなった、恋人がいなくなったりした時に初めて、その人の存在の大きさや有難味に気づいたりする。

また、

「俺は好きなものを食べて生きるんだ!」

「タバコを吸ったっていいじゃないか!」

「俺の体だ、酒を飲むのは自由じゃないか!」

といったように言う人もいますが、人が何をするかというのは自由だし、それそのものは全く悪いことではありません。しかしそうしたことで体を壊し、苦しい思いをし、死ぬ直前に、「もっとこうすればよかった」と、後悔することは多い。

 

後悔するというのは、本当に好きでやっていたのではなく、何かに対抗し、虚勢を張ったりしていただけで、「いや~上手いなぁ~」と、いつもおいしくタバコを吸って、病気になって死んだ人がいるとすれば、その人は余り後悔することにはなりません。

そのため表面的な言葉は同じでも、前者は頭の悪い人になるし、その反対である後者の人や、病気を予防できる人、失う前にその大切さを知ることが出来る人は、凄い人で、頭のいい人と言えるでしょう。

 

それと同じように、歯が大事であると考えながら、けちんぼして将来的に歯を失うようなことになれば、いくら学校の勉強が出来ても、頭のいい人とは言えない。

ついでに言えば、歯が大事であると考えながら、定期検診を勧められても、「こいつ騙そうとしているな」などの様に考えることは、それは自分の歯のことを考えているのではなく、その人に対抗しているだけです。

つまり、自分が歯が大事であると考えていても、定期検診と言う概念が無ければ、自分とは違う考えを言って来るのに対し、負けない様に自分の考えを主張し押し通そうとしているに過ぎない。

 

実際には、本当に騙そうとしている人もいるでしょうから、必ずしもそこで定期検診を受ける必要がある訳ではありませんが、もしそこが悪い所であるのなら、もっと違ういい所を探して、定期検診を受けるというのであれば、その人は、自分の歯のことを考えている。

しかしそうではないのであれば、関係の無いことに気が囚われて、自分の歯のことは無視し、それとは全く関係の無いことに、対抗しているだけなのです。

(ちなみに歯医者は、治療しなくてもいい歯を治療したりしている所もあるので、歯医者選びも気を付けた方がいいです。)

 

昨日も説明したように、予防をするということは、本当に難しい。また難しいことも、知っておかなければならないでしょう。

そうでなければ予防など、簡単に出来るものではない。

誰だっていい方向に進みたいと考えますが、未来が分からないから、子育てでもスポーツでも、その道から外れてしまう訳です。

 

例えば普段粗食のようなご飯を食べている子供がいて、ある時魔女が現われた。その魔女は今まで食べた子の無い様な、甘いお菓子を与えた。

そうすると、「こんなにおいしいものは食べたことがない!」と、子供は驚く。そして魔女は、「もっと食べたいのなら私の家においで。そこにはもっとお菓子があるんだよ」と、囁く。

そんなことになれば、子供は必ず付いて行くし、簡単に道から外れる。

 

しかしお母さんが、子供に甘いお菓子を与えなかったのは、お菓子と言う存在は知っていたけど、それは健康に悪いことを知っていたから、子供のためにあえて与えていなかったのです。

お菓子がおいしいから健康にいいというのは、別の話。

またお菓子が、時には間食として役に立つことはあっても、ご飯の代わりにはならないし、万能ではない。

 

粗食何て言うものは、甘いお菓子に比べ、色気もないし、味気もありません。

また普段から粗食を食べていて健康でも、粗食を食べていることが、健康に繋がっているとは、直ぐには分からない。

そのため本当にものは、実はその良さが大変分かりにくく、そうではない癖のあるものや、甘いお菓子のようなものなど、目立つものの方に目が行き、それが凄いと思って、飛びつきたくなる。

 

もし今まで粗食しか食べたことが無く、そこから甘いお菓子を食べれば、一時はおいしいと思う事はあっても、それを食べ続けていれば、徐々に体調を崩すことになって、

「あれっ、なんか変だな?お菓子って実は悪いんだろうか」と思えます。

しかし普段から余りよくないものを食べていて、そこから更に悪いものを食べて体調が悪くなっても、そう言うものだと思って、お菓子が体に悪いことは気が付かなくなる。

またそうすれば、ダメなことを更にやり続けることになるし、粗食なんか出て来た日には、「何だこれ!何も味しない。糞不味い」と思うし、

また粗食を食べたことで、体に溜まった毒素が出てきたりでもすれば、「これを食べて調子が悪くなった!」、「自分には合わない!」と思ったりもする。

 

世の中には、甘いことを言って来る人は多く、人を惑わすような広告も多くあります。

それと、現実的で厳しいことを言う人に従うことや、大変な道を進むこととでは、甘いことを囁く方に飛びつくし、本当に正しいことを示してくれる人には、罵倒すらする。

しかし最終的にどうなるかと言えば、その時はよくても、また快楽的なことが出来ても、本当に望むようなことを手に入れることは出来ないし、苦しいことにもなる。

そうしたことを分かっていたため、ちょっと前までの人であれば、楽な道は選ばず、あえて苦しい道を選択して来た、と言う人もいました。

最近では、減りましたね。絶滅危惧種。

 

別に苦しい道を進みなさい、ということではありませんが、言っていることとやっていることが違っていることはよくあり、それがかけ離れればかけ離れるほど、自分を失いおかしなことになります。

子供に怪我させたくないと言ったって、怪我させたりしている訳です。いくら口で言っていても、それを実践しているかどうかは、全く別な話。

そのためよく自己分析をし、やりたいことが分かって出来る様になれば、本当の意味で楽になる事が出来るし、色々上手く回る様にもなり、将来的にも、もっと充実した人生に、なっていけるんじゃないだろうかと思う次第です。

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