自分の知っている知識

本一冊でも読めば、「へ~そうなんだ」となる。

しかしその分野に関する本を何冊か読めば、必ずその反対のことが書かれていて、そうするとどっちが正しいのかが分からなくなる。

それを更に勉強したり、体験などを通じていくことによって、本を一冊読んだ時とは違う、自分なりの答えが出てくる。

しかし答えが出てくると言っても、自分がそう思っただけで、その答えは間違っているかもしれないから、真理に気が付くことは、そう簡単なことではなく、道のりは遠い。

 

誰だって直ぐに答えを知りたくなると思います。しかし真理のようなものは、絶対に直ぐに知ることは出来ない。

仮に誰かに答えを教えて貰い、すぐに答えを知った所で本当の所は理解出来ないし、好奇心を満たすだけで終わってしまうでしょう。

買って満足するみたいなやつです。

だから答えを知っても知らなくても、どちらにしても本当に正しい答えを理解するには時間がかかる訳ですが、そこまでの時間と手間暇をかけたくないから、多くは自分にとって都合のいい答えで満足する。

なぞなぞなんかを出してみると面白いですが、考えても分からない時には、「問題はこうでしたっけ?」と自分に都合のいい問題にすり替わったりする。

こうしたことを観察していると、なるほどこれが我流になる仕組みかとか、伝統や伝承が崩れていく原因か、ということが見ることが出来る。

 

誰しも初めの頃は未熟なもので、それは恥ずかしいことでもありませんが、まだ未熟な段階で出した答えは、そのレベルでの答えにしか過ぎず、まだその先の答えを見ることは出来ない。

そのため未熟な人程分かった気、自分は凄い様な気になってしまいやすくなり、逆に本当に凄い人程謙虚だったりする。

謙虚というのは、もちろん謙虚ぶるような事ではなく、見る目の無い人にとっては、出来ない人の様に見えるような態度。

一般的にはオリンピックメダリストなど、結果を出した有名人が謙虚なふるまいをすると、「謙虚ですね」となりますが、有名でない人が謙虚な態度をすると、見る目の無い人には、出来ない人に思われる。

謙虚とは、簡単に言うとそんな感じ。

 

だから今自分が知っている知識や自分が考え出した答えは、それが最終形や真理であるとは限らないので、今の段階ではこういう理解であると考えておかないと、進歩も止まり、失敗する原因にもなる。

また例えば「脱力は大事ですね」と全く同じことを言っていても、ただ知識で言っている人と、脱力を一旦否定した上で、更に「脱力は大事である」という考えに至った人とでは、理解の仕方が全く違う。

知識も塗り重ねていくような作業が必要です。

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