この間、安室奈美恵さんのコンサートに行ったのですけど、ファンの人たちは、安室さんみたいな格好して、メイクしたりしていた。
昔アムラーとか言っていたのを思い出しましたね。
私は、「芸能界に入っても、一日八時間しか働かないぞ!」何て言う冗談を昔言っていましたが、そんな風に思っているタイプは、全く芸能界には向いていない。笑
また有名人みたいな人は、「キャーキャー」言われたりする訳ですけど、そんなに好きじゃないタイプからも「キャーキャー」言われる訳で、そうしたファンであっても大事に出来る人、「キャーキャー」言われたい人が、芸能人に向いている。
それとファンであれば、その人になりきりたい、近づきたいという気持ちがあるので、ファンの人からは憧れの存在となり、真似される様になります。
個人的には、同じような格好を真似したりとか、名前の入ったタオルを持ってくれたり、髪型を真似する程度のことだったらいいかなとは思うものの、皆が自分と同じようなメイクをして、顔まで真似している人が沢山いたら、何だか気持ち悪いように感じてしまう。
自分の顔真似した人が、もし沢山集まっていたとしたら、奇妙じゃないでしょうかね。笑
こう思うのは、私が女性ではないこともあるからかもしれませんが、芸能人に向いている人は、こうしたこともそれを良しと出来る人でしょう。
それはともかく芸能人には沢山のファンがいて、また芸能人になるのなら、ファンを大事に出来なければいけない訳ですが、これは芸能人だけの話ではなく、沢山のファンがいるプロアスリート同じ。
プロアスリートも、ファンがいて成り立つ。
お金払って誰も観戦に来てくれなかったら、成り立ちませんね?
だからプロの給料は、ファンが給料を払ってくれているようなもので、プロアスリートであっても、ファンを大事にしなければならない。
プロ野球選手であれば、野球をすることが仕事だと思っている人もいますが、それが全てではなく、ファンを喜ばせる魅せるプレー、魅了するプレーなど野球以外にも、ファンとの交流なども仕事の一つで、全てを含めてプロなのです。
またファンは、ただお金を払ってくれるというだけではなく、ファンの存在が力を与えてくれたりする。
たとえばホームとアウェーとでは、断然ホームの方が強いですが、これは場所と応援の効果です。
応援なんかに効果があるのかなとも思うのですが、本当に効果があるようで、それによって力を得ているのです。
少なくても一人だけでは、中々頑張れない事もあったりしますが、応援してくれる人、支えてくれる人がいるからこそ、頑張れるということもあると思います。
また今の時代、一人の力だけでは、どんなに能力があったとしても、オリンピックでメダルは取れなくなっています。
監督やコーチのような存在は当然ながら、栄養士やトレーナー、スポーツドクターなど、一人のために10人ぐらいがチームとなっていて、それなしで一人の力では、もう勝てないのです。
マイクタイソンにしても、あの時代から既にチームが作られていました。個人的に、ただ強かっただけではない。
ボクシングや総合格闘技など、強い選手が強いと思われがちですが、それだけでなくトレーナーの存在が大きく、優秀なトレーナーについて、毎日指導を受け練習しない限り、マイクタイソンでもピーターアーツでも勝つことは出来ない。
そうした人たちのお蔭で、強い人がより強くなったり、逆にそうした人から応援したいと思われなければ、大きなパワーを得ることが出来ません。
「俺の中には、長兄ラオウへの思い、そしてユリアへの思いが生きている。天地を砕く剛拳でさえ、この思いだけは砕くことは出来ぬ」
それとスポーツは、とにかく海外遠征だなんだと、お金がかかる。
後援会やスポンサーなど、支援者たちの支援によって、スポーツをやる事が出来ます。
こうしたこともあって、ファンや支えてくれる人の存在が大事だということが分かると思いますが、これはプロだけに言えることではなく、プロを目指している人にもファンが必要です。
そのファンは、親かもしれないし、指導者かもしれないし、チームメイトやクラスメイトかもしれませんが、もしプロを目指しているという人が、ファンがいなかったとしたら、恐らくプロには成れないでしょう。
プロと同じように、一人の力ではたかだかしれているので、優れた指導者に出会い、質の高い指導を受けて練習して行かなければならないし、応援してくれる人がいることによって、自分の持っている力を発揮したり、何か困難なことがあっても、それを乗り越えることが出来る。
そのためプロでなくても、プロの様に高い目標を持っているのであれば、それを支えてくれるファンの存在が必要な訳です。
それでは、どういう人にファンがいるのか?もしくは、どういう人にファンが出来るのか?
直ぐ思い浮かぶのは、素質や才能があり、将来性がある人、既に高いパフォーマンスを発揮している人ですが、必ずしもそうした人だけではありません。
下手な人にだって、ファンになることはある。
たとえばお祭りなどの発表で、子供がその子なりに、一生懸命頑張っていたとすれば、下手であっても、人はその姿に感動するものです。
つまりファンになってしまう。
逆に自己満のものを見せつけられたら、そんなものはどっか外でやってくれと、感動したり惹き付けられたりはしません。
それと同じで、下手であっても、また強くなくても、その選手なりに真摯にピュアな気持ちで、一生懸命取り組んでさえいれば、ファンになるものです。
しかし、ここが大変難しい所ですが、自分なりに頑張っていれば、誰でも自分は真摯にピュアな気持で、一生懸命努力していると思うものです。
だから自分はちゃんとやっているのだから、もっとああしてくれ、こうしてくれと、周りに要求したりする。
しかしお祭りで、自己満のものを見せつけている人でも、自分たちは凄いものをやっていると思っているでしょう。
それと同じで、自分が頑張っていると思っているからといって、必ずしもファンが出来るものではなく、自己満の努力や、周りから見てキラキラ輝いているような、ピュアな努力に感じられないものには、心は決して動かされない。
自分がどんなに正しいと思っても、それが真実とは限らない様に、自分が考えている事とは、反対の結果になる事だってある訳です。
何年か前に、武道の演武をしたことがあったのですが、一緒に演武をした人のお母さんがそれを見ていて、またその写真などを見て、「立ち姿がかっこいい」、などと言ってくれていたらしく、それ以来、その人づてに、時折食べ物などを貰うようになりました。笑
最近も笹団子を貰った。
しかし会ったことがあるのは、その時だけなのです。
またファンになって欲しいとか、かっこいいことをやっているとかは、自分では思っていないし、むしろ人に見せられるものではないので、余り見られたくもなく、それにも拘らず、そうしたことをしてくれるのは、大変こっぱずかしい。笑
だから写真とか動画とかも、余り載せたりはしない。
こうしたように、自分ではダメだと思っていても、それを評価して貰った経験もあると思いますが、自分がいいと思っているとか、ダメだと思っているということは、周りの人には余り関係なく、それを見ていた人が、どう思うかの問題です。
サッカーのキングカズなんかは、やっぱり凄くて、高校生の時は、普通の人よりは当然上手い選手ではありましたが、全国から見れば、特別に上手い選手ではなく、チームにも、もっと上手い選手はいました。
そんな選手だったのですけど、高校の時にブラジルに留学するのですが、日本を飛び立っていく日には、空港までかなり多くの人が見送りに来て、知らない人たちには、芸能人でもいたのではないか、と思われたぐらいだったそうです。
普通、特別上手くもない人に、そんなに大勢の人が、成田まで見送りには来てくれないんじゃないでしょうか。
恐らく日頃から口だけではなく、周りに何か思わせるものが、あったのだと思います。
そういったものがあったからこそ、またそれが心の支えにもなり、ブラジルの大変な環境も乗り越え、レベル的には普通の選手が、ブラジルでも知られるようになり、キングカズになった。
口でかっこいいことを言うだけなら、誰にでも出来ます。
しかしそれに行動が伴っているとか、人の心を動かすことは、少し難しい。
もちろん口先で人を動かせることも、ない訳ではありませんが、少なくても人生経験を積んだ優れた人には、それは通じない。また口先で通用するのは、最初だけで、スポーツの様に継続的なものでは、その内ばれてしまうでしょう。
だからその気持ちが大空翼の様に、本物かどうかが大事ですが、本物の気持ちとそれに伴った行動がある事によって、人の心を動かし、またその純度が高い人程、人を大きく動かし、カズのようになれるのでしょうね。