癌で入院した人の心理

最近ある方から、癌の知り合いのことで相談されました。

その人は癌の末期で全身転移していて、激やせし、医者からはこんな人は診た事ないと言われたぐらいだったそうです。

恐らくまだ40代ぐらいだと思いますが、親はもう諦めている。

しかし医者も親も、本人には知らせていないようで、本人は医者が8月で退院できると言うから、それを信じているとのことなのです。

 

私に相談してくれた人は、親が癌になって、私から色々アドバイス受けたこと経験などもあって、そんな訳ないだろうと思い、その人の為に違う病院なり、色々探したりしたのですが、

当の本人は、「医者が8月で退院できると言っているのに、何でそんな事をしなければいけないんだ」、と聞いてくれなくて、どうしたらいいのかと、相談して来たのです。

こうしたことは、非常に難しい問題ですね。

 

客観的に考えれば、ある程度の健康情報は皆あるから、そんな事は直ぐ分かるはずだと、思ったりもしますが、世の中には健康に全く関心の無い人もいて、何も分からない人もいます。

また昔と違い、死を身近に感じることが亡くなっているので、死とは自分や家族など周りには、関係の無いことだと思っていたりもする。

そのため自分が病気になったり、家族が亡くなったりした時には、受け入れることが難しいのです。

 

それと、客観的に考えれば、また普通に考えれば分かりそうなものなのに、なぜ医者の言う事を信じるかですが、それはその人にとって、医者が神のような存在で、自分にとっての唯一の希望、救いの道だからで、もしそれを否定してしまった場合は、もう二度と立ち直る事が出来なくなってしまう為です。

 

真実を受け入れると言うことは、とても難しいことで、それよりも人は、自分に都合のいいものを信じようとする傾向にあります。

その人にすれば、お医者様8月で退院できると言ってくれている、お墨付きをくれているのだから退院できる、自分は助かるんだと思うことが出来る。

だからそれを否定する人がいるとすれば、「医者でもないのに何を言っているんだ」と、そう考えるでしょう。

 

しかしもちろん、プロアスリートになるでも、病気を治すでも、妄想は通用しないし、本当ことで言えば、医者はある意味治らないことを信じているのだから、医者を信じることは、治らないことを信じることにもなってしまう。

また退院できるというのも、もしかしたらミソで、助かるとは言っていなかったかもしれない。

そうすると、退院は退院でも、本人の考えている意味とは全く違うものであるのかもしれない。

普通死ぬよりも、助かる道のことを選ぶように思いますが、決してそうではないのです。

だから話を聞いてくれないと言うのも、ある意味当然なことでもある。

 

もし本人に言う事を聞かせるだけなら、テクニックを使えば可能です。

いくら言っても聞かないと言うのであれば、やり方を変えればいい。

つまり、「こうすれ」とか、「こうした方がいいよ」とか、そういったものではなく、

「あっ、あぁ~。。。」「そ、そうか。。。」

といった、歯切れの悪い返事をする。

そうすれば、人はその理由を聞きたくなるものです。またそこで初めて、疑問や不安が生じてくるのです。

 

しかしそれで違う治療などを行ったとしても、治る事は難しい。

取り敢えずの方法としては、ありかもしれませんが、治るためには、現実を受け止め、いい意味での開き直りが必要で、それにははっきりと事実を知らなければならないし、しかし現実を受け止めるレベルになければ、話を聞かなかったり、落ち込んでしまったりする。

 

また一つ気がかりなのは、次にまた抗がん剤治療を行うそうですが、もしそれを行った場合は、恐らくもう助かる事はないことです。

抗がん剤治療が、絶対に悪い訳ではないですが、その段階では、全く効かないでしょう。もしくはその段階で「誰か助かった人がいましたか?」と、医者に聞いてみればいいと思います。

またその医者は治らないと思っているようなので、治りはしない。

 

治らないだけならいいけど、副作用で苦しんだりしなければならないのであれば、やらない選択肢があってもいいと思いますが、それは考えず、何もしないというのも、暇を持て余すから、取り敢えず抗がん剤治療をやってみようという感じで、治療が行われる。

だからそうなる前に、ほぼ100%の死や副作用で苦しむことなどを考えれば、不安やショックを与えたとしても、テクニックを使って、まずは状況や現状を知って貰い、そこから少しずつ、病気と向き合って貰う、人生について考えて貰う、何か思い残すことがあったのであれば、それをやって貰うことは、もしかしたらいいのかもしれません。

 

ただ親は諦めているから、親にしてみれば、言い方が良くないかもしれませんが、さっさと死んでもらいたいと思っている。

生きる希望にかけ、治そうと努力して失敗するよりも、死ぬなら死ぬと心の準備をしておいた方が気が楽なのです。

 

人は面白いのですが、危篤の知らせを受け、「もう助からない」と言われた。

でも後から、「やっぱり助かるかもしれない」と、言われただけならいいですが、その後にもう一回、「やっぱり駄目らしい」みたいなことを何度か繰り返されると、大きなストレスとなり、

「もうどっちでもいいから、はっきりしてくれ!」

みたいになるのです。

病気にしても、病名が分からずにいるよりも、「癌です」などと言ってくれる方が、不思議と安心したりするのと同じです。

またサッカーなどにしても、勝つと期待して負けた時と、負けると思って負けた時とでは、受けるショックが違う。

 

癌になった場合など、こうした色んな問題があるので、色々難しいですが、癌で言えば、事前にある程度、どういう治療をするのかなど、多少考えておくことを勧めています。

最近では生前葬だったり、エンディングノートを付けたりなどしていますが、全く準備なしで、癌です何て言われたら、そのショックは相当なものだと思います。

また慌ててしまったり、医者に殺されてしまう、なんてこともあるかもしれない。

何事も準備や対策しておくと、慌てずに済んだりするように、病気にしても万が一のことを考えておいてもいいと思います。

 

それとこうしたケースや、周りで病気したりした人がいた時などは、その人の個人的な問題として考えるのではなく、その人が自分に何を教えようとしてくれているのか、という視点で考えることが出来れば、そこから何かを学ぶことが出来ると思います。

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