本質を求めるのか、形を求めるのか

本質は1つであり、形は無限である。

だから本質が分かれば、一々形を覚えなくても、無限に応用が利く。

反対に本質ではなく形で覚えようとすれば、全部を覚えようとしなければならない。しかし、それでは直ぐに忘れてしまうし、覚えきれるものではなく、応用が効かなくなる。

そうしたことから考えても、形に囚われることなく、本質を求めていくべきなのですが、それは学校や親は教えてくれないし、本質とは何かが分かりにくいから、本質の重要性すら気づくことも出来ない。

反対に形は、能力の無い人など誰にでも直ぐに分かるし、単純で取り組みやすいため、どうしても形の方に行ってしまう。

 

成功できるような人たちは、当然本質を求めて努力を続けて行くのですけど、そうでない人は形に囚われ努力していくため、雲泥の差が付いてしまう。

何をやってもダメな人はダメですが、それは本質の入り口にたどり着くことが出来ないし、仮にその入り口が見えたとしても、そのドアを開けて前に進んで行くことが出来ないために、本質ではなく、形の世界で生きていくことになる。

頭の悪い人も、一生頭がよくなることはありませんが、それも本質の世界に入って行くことが出来ないためです。目に見える形ばかりに囚われて、見えにくい所を見ようとすることには、死ぬまで至らない。

(ここで言う頭の悪いとは、学校の勉強が出来る出来ないではなく、根本的な所から考え直す力があるかどうかとか、先入観や思い込み、過去に囚われず、柔軟的に考え、また柔軟な行動が出来るかどうかのことです。)

 

本質と形というのは、分かりにくいのでもう少し説明すると、武道で言えば、技は無限にある。技を覚えることや、技を研究することが悪い訳ではありませんが、それも本質的なものを掴んで行くことが重要で、そうすることによって、技は自然と生まれて来る。

それを合気道開祖植芝盛平は、晩年武産合気(たけむすあいき)と言いました。

 

料理が中々上達しない人がいる。その一方で一回食べただけで、何を使っているのかが分かり、再現できる人もいる。イチローの奥さんや、キャイ〜ンの天野君もそうらしいです。

これは天才的な味覚を持っているから出来るのか、と思ってしまいますが、そうした能力の差は多少あるにしても、本質的な所に違いがある。

例えばだし。

だしがあることによって、それを応用させ様々な料理を作って行くことが出来ますが、料理のレパートリーが増えない、何でもレシピを見ないと分からないと言う人は、だし、つまり料理の核となるものについて、余り考えていない。

料理教室にしても、今の料理教室の殆どは、だしの取り方など根本的、本質的なことではなく、形的なものを教えるから、それを習った所で、いつまで経っても、自分で応用を利かせる様になれないのです。

応用を利かせられなければ、全部習わなければならなくなるし、そんなに覚えられないので、一つ覚えたら一つ忘れるみたいになる。笑

 

子供にもっと野球を上手くさせたいと、イチローがバッティングセンターに通っていたことを真似して、バッティングセンターに連れて行く。そんなものを真似した所で、何の意味もない。そういうことじゃないのです。

それが形。イチローみたいに育てたいのなら、そうではなくもっと見えにくい所、分かりにくい所を勉強して、真似していかなければならない。それが本質。

 

子供に将来いい大学に入って、いい会社に就職して幸せに過ごして欲しいと、塾に通わせる。

しかし塾に通わせるのは、皆が通っているから、それを真似したい、他の人から遅れを取りたくないからと、焦って通わせるのであって、それが本当に子供に合った方法なのかと言うと、多くの場合はそうではない。

また親が押し付けて塾に通わせた時などは、子供は全然勉強しないので、多少の効果はあっても、金をドブに捨てるようなものになってしまう。

もっと効果的にお金を使えば、子供の成績だって上がっていきますが、形に囚われてしまうと、結果も出ないし、本当に必要なものにお金を使えなくなる。

 

このブログをずっと読んでくれている方は、本質の入り口は分かっていると思いますから、後はその扉を開け、一歩一歩前に進んで行くこと。

本質の努力は、直ぐに結果は出ないかもしれませんが、10年後20年後には大きな差が付くことになると思いますし、こういうことを勉強していなかったとしたら、と思うと怖いぐらいに思えます。

 

またその一歩一歩進んで行くための方法として、分かりやすいもの、直ぐ見てわかるもの、誰でも取り組みやすいもの、皆がやっているものは、本質ではなく形なので、そうではなく違う所を見るようにしたり、他の人とは少し違う行動を取ってみる。

また常に、自分が選択をする時など、これは本質かな形かなと、考えてみる。お金を使うにしても表面的で形的なものなのか、本質的なものなのか、本質的に自分を変えていくことが出来るものか、などを考えてみる。

そうすることによって、例え間違った選択をしたとしても、本質とはこういうことだったかと、また一歩本質に近づくことが出来る。

私もまだまだ勉強途中ですが、皆で頑張っていきましょう。

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