もう一つ重要なことは、自分が落ち込んでいる時にどうするか。
落ち込んでいる時、上手くいっていない時などは、「自分はこんなに苦しんでいるから助けてくれ」と、もらう事ばかりを考えてしまいがちですが、それだけでは立ち直ることが出来ず、負のスパイラルに陥ってしまう。
落ち込んでいたり、ストレスを抱えていたりすれば、愚痴や不平不満を言いがちになり、人のエネルギーを吸い取ったりしてしまいます。
それを続けていては人も離れていくため、いつまで経っても自分の所には何も入ってこない。
奪うと言うのは無意識で行っているため、自分で気づくことが難しいものですが、例えばふてくされた表情一つで、人のエネルギーを奪うことになる。逆にいつも元気で笑顔な人は、それだけで人にエネルギーを与える。
また最近の日本では、礼儀作法を教えなくなったため、礼儀を失っています。つまり自分では気が付かない所で、礼を欠いた失礼な態度になってしまいがちになる。
礼を失っていれば、その分マイナスになるため、それも人から奪うことになり、自分には与えられなくなる。
礼儀と言っても、今の時代であれば形式的なことに囚われる必要はないと思いますが、一つは何事も感謝出来る人がいるとすれば、その人の所には人も情報も集まって来るし、また幸福感があり、癌などの病気にもならないでしょう。
スポーツでもハードな練習に自分だけでは、中々耐えられるものではありませんが、その時に「親や先生に恩返しをするんだ」、などのようなことがあると、凄い力を発揮出来るようになるものです。
私は最近になって、ようやく徳を積むことの意味が少しずつ分かってきましたが、普段からいいこと貯金をしていれば、何かあった時も助けて貰えたり、復活しやすくなる。
こないだも鳥助けた。笑
何かを与えていない限り、自分の所には入ってこない。幸せでも情報でも夢でも目標でも、もし欲しいものがあるのなら、それに見合ったものを与えているかどうか。
逆に言えば今の状態は、自分が与えたレベルでバランスが保たれている。いい状態であれば、それだけ与えて来たのだろうし、そうでないというのであれば、与えることはそれ程行ってはいないのかもしれない。
「いいや私は与えています!」と言う人もいるかもしれませんが、喉が渇いている人に、メロンパンを与えた所でどうしようもない。自分の都合ではダメです。
丹精込めて手作りのメロンパンを作って与えたのなら、それだけ労力かけていますから、感謝されて当然かもしれませんが、砂漠で喉が渇いて死にそうな人には、一杯のカルキ入り水道水を与えた人の方が、喜ばれるでしょう。
「あんなカルキ入りの水道水なんて、ただ蛇口をひねって出しただけじゃないか」と思いますが、喉が渇いている人にはそれでもいいんです。