一般的にゴルフでボールが、真っ直ぐ飛んだからいいショットが出来たと考えがちですが、上手くなるような人たちは、真っ直ぐ飛んだからいいとは考えません。
それよりもフォームであったり、過程を大事にしています。
とは言っても言葉では簡単ですが、これが中々難しいもので、真っ直ぐ飛んだりすれば、自分は上手に出来ている、上手く行ったと思いたいもので、逆に曲がっている人を見れば、あの人は下手だと考えてしまう。
昔ジョージアーチャーというゴルフのプロがいて、その方の笑い話ですが、その人は長時間の移動で、体が疲れ切っていたのですが、全米プロに出場するため、コースの下見をしなければならなず、コースを回ることにした。
その時一人の中年ゴルファーが「一緒に周りませんか」と声をかけてきて、内心やっかいだなと思ったものの、一緒に回ることになった。
最初は体が動かなかったから、ミスショットを連発。
それを見ていた中年ゴルファーは、すかさず教え魔が始まり、こともあろうにシニアで活躍するプロにアドバイスをしだした。笑
ジョージアーチャーは次第に体が解れ、2番ホール辺りから調子を取り戻し、アウト36、イン34のスコアで終了。
それぐらいのスコアで回るぐらいだから、普通この人は上手い人だなと思うものですが、その中年ゴルファーはそれも気づかず、それどころか、
「この若いのは、私がゴルフのコツを教えてやると見事に上手くなった」と、クラブハウスの支配人に得意げに話したのだとか。笑
こういう話はよくありますね。
下手な人や未熟な人ほど口を挟んできますが、反対に上手い人は寡黙な人、謙虚な人だったりする。そうすると下手な人、未熟な人にすれば、何も話さないのは出来ないから、わかっていないからと勘違いをして、アドバイスをしてしまう。
またこの場合も、最初のミスショットの先入観、自分が凄い人間でありたいという思いから、それに囚われて正しく見ることが出来なくなってしまった。
それとついでに言えば、この話からすれば、このジョージアーチャーは、プレー中と言うよりも、クラブハウスに戻っても、ずっと何も言わなかったのですね。
教え魔をされている時も、「トップでひと呼吸、それからパチンと打つわけですな」と、教え魔の話を否定せず、話も合わせたりしています。
出来る人が言うとは限らないのです。
形しか見れないと教える立場では、教え魔になり、親であればガミガミ口うるさい親になる。
スポーツでも習い事をするのでも、出来たとか出来ないとか、そう言った見方、判断では、本当に上達するまでにはいきません。
負けず嫌いの人や、早く成果を出したいと意気込んでいる人なんかも、出来たとか出来ないといったことに拘りがちですが、もっと過程が大事になります。
ゴルフの石川遼選手のお父さんは、ジュニアの試合で勝ち負けにこだわったことは一度もなく、むしろ優勝争いの時には、相手選手のバーディーを望んだぐらいだとか。
この感覚が一般的には、中々ないもの、理解出来ないもの、また真似できないものですね。
こうした所が、子供を一流に育てた親たちは凄い。
プロのアスリートがこうしたことをやっていた、という形を真似するよりも、目に見えない所を真似するようにしていけば、子育てもきっといいものになって行くと思います。