嫌な人も必要である

嫌な人がいるからこそ、気づくことがあるなどとは言われるので、何となくはそれもあるだろうと思っている人はいると思います。それともう一つ、そういう人がいることによってのメリットがあります。

会社などでも、全然仕事が出来ない人というのは、いたりするものだし、そういう人はさっさと辞めて欲しいと考えたりするものですが、実はそういう人がいてくれるから、上手くバランスが取れていることがあるのです。

 

そんな訳ないだろうと思うかもしれませんが、簡単な所で言えば、皆の共通する敵がいることによって、一致団結しやすくなる。またそのことに気持ちが囚われることによって、他の問題を目立たせなくすることが出来る。

マスメディアでは、何か国民に関心を向けられたくないようなことがあった場合、その仕組みを利用し、他の何かで騒ぎ立て、肝心なものを大きな問題にしないようにする、といったことが言われています。

だからそうした何かで世間が騒ぐようなことが起こった時は、もっと重大な問題が隠されていないかを気を付けなければならない。
 

会社にとっても、ダメ社員がいてくれることによって、会社の問題を目立たせなくすることが出来るし、またそれによって、皆が同じ方向を向きやすくなる。

逆に言えば、そうしたことが働いていることに気づかずに、表面的に気になったからと言って、その人クビにした場合、今度は必ず何か違う問題が起きたり、もしくは新たなダメ社員が出て来る。

そうやってバランスを取るのです。

 

これと同じように、中々理解しがたい所ではあると思いますが、体に何らかの症状があった方がいいこともある。

例えば年配の方であれば、多少どこか痛みがあることによって、痴呆の防止にもなるし、却って長生きしたりする。

グループホームなどでは基本的には親切な対応をしますが、それだけでは、筋力、体力、脳も衰えて、痴呆になり生命力を失う。

それよりも、「このくそババァ、まだ生きていたか」と声をかけてあげる方が、ちょっとしたスパイスになって、元気になる。笑

建前では親切な方がいい訳ですけど、実際には時折くそババァとか、くそじじぃと言う人の方が、本当の意味ではいい。

生物は完全に外敵がいない状態を作るよりも、多少敵がいる環境を作った方が、生命力は高まるから、悪いと思えるようなものも、時には必要。

 

体のどこかに痛みがあれば、誰だってそれを取って欲しいものですけど、痛みがあることによって、実はかえって健康であったり、色々考えたりも出来ることもあるので、それをただ症状だけを取り除くことだけを考え、原因は取り除かない、自分は変えない、楽したい、目先に拘るみたいなことは、その時はよくても後々余り宜しくない訳です。

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