自主性の誤解

小出監督の「選手たちに自主性は必要ない」というのは凄い言葉ですが、これだけを聞けば、「何を言っているんだ!」、「そんな訳ないだろう!」と誤解されるでしょう。

自分の考えとは違うものに出くわした時、多くは頭から否定しがちですが、それだけだといつまで経っても自分の世界から外に出ることが出来ません。頭から否定するのではなく、まずは「それはどういう意味なのかな」と考えることで、真意や深い意味に気づくことが出来る。

もし検討した結果違ったのであれば、それはそれでいいでいいのではないでしょうか。自分の考えと違ったものに出くわした時は、本当は自分が変わる、成長するチャンスなのです。

 

自主性と言う言葉は、普段いい意味として使われることが多いので、それが悪いなどと言えば誤解されますが、本人がやりたいと言っているものを、鵜呑みにするとか、いつもいいものであると考えるとか、任せっきりにするというのはよくないということ。

真理、真実は決まっていて、それに反することをすれば、たとえ自分がいいと思っていようが、絶対に正しいと信じていようが、いい結果を出すことは出来ません。

しかし経験の少ない人には、自分なりの考えであれをやってみたい、これをやってみたいと言うのが出てくる。

もちろんこれは選手だけの話ではなくて、指導者にしても同じ。

 

ただ難しいのは、経験を積めばわかるものでも、それがない間は「やってみなきゃわからないじゃないか」といったように、実際に間違いを経験するまでわからない。

また人は、「正しいことを信じるのではなく、正しいと思いたいことを信じる」という面があるので、間違いだと分かっていても、やらせざるを得ない事もある。

それと自分からやるのが自主性的なイメージですが、「これはヤダ」、「あれはやりたくない」と言うのも自主性で、そうした時にどうするか。

こういう所が中々難しいですね。

 

中々難しい訳ですが、思いなどが強くなり過ぎると、冷静な判断が出来ないので、なるべくニュートラルな状態、また客観的に見るようにする。また自分の考えとは、反対のものに出会っても、頭から否定せず、冷静によくよく検討してみる。

もう一つは、自分が一体何を求めているのかを考えてみる。感情を発散させることが目的なのか、自分の持論の正しさを貫きたいのか、自分の考えを信じたいのか、それとも純粋に結果を出したいのか。

いい情報を得たい、いい方法で取り組みたい、結果を出したいというのなら、なるべく自分の思考を濁らせない事です。

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