選手たちに自主性は必要ない

「選手たちに、自主性は必要ない」

これはマラソンの小出義雄監督の言葉。もちろんこの言葉は、受け身であることがいいと言っているのではありません。一般的には自主性が重要であると考えられていますが、自主性という言葉も、よく見極める必要がある。

 

「選手の自主性に任せている」などという指導者を何人も見てきた。
僕にはとても「真似」できない「指導法」だ。言わせてもらえば、これは、指導者の「責任逃れ」、「逃げ道作り」としか思えないんだ。

選手の自主性で金メダルを獲れるのなら、指導者なんて必要ない。
若い選手などは、少し力をつけてくると、
「あの筋トレをやってみたい」「あの治療法を受けてみたい」
と言い出してくることがある。

僕は頭から否定することはしない。一度は試させたり、あるいは僕自身も付き合って、「なるほど、こんなやり方もあるんだな」と受け入れるふりをする。そしてやおら、「でもね…」といって説得する。

 

こっちにも40年以上の経験があるから、その選手にはどんな練習方法が適しているのか、先週がやりたいと思っている練習方法の善し悪しはすぐに見分けがつくよ。

それでも選手が納得しないときは、しかたなく容認する。うまくいくわけがないが、じっと見守ってやる。そして、助けを求めて来たときに救いの手を差し伸べてやるんだ。

また、選手が「自主性に任せて下さい」と言ってくるときは、確かに積極的に練習に取り組みたいというケースもあるが、中には、厳しいトレーニングから逃げたいというケースもあるんだ。

コーチや指導者には、
「選手たちに自主性は必要ない。自主整備任せるというのは指導者の逃げだぞ」
とよく言い聞かせている。

中略

選手が結果を出し、自主性を認めざるをえないケースもある。

僕はこれで苦い思いもした。シドニー五輪で金メダルを獲ったQちゃんが、
「自分の考えをそれなりに表現したい」
と公言してきた。

僕も、「高橋もいい大人だし、いちいち細かく言われるのも嫌だろう。また、言わなくてもわかっているはずだ…」と気を緩めてしまったんだ。

シドニー五輪の前までは、Qちゃんとはずっと食事をともにしてきた。指導者の中でも、とくに食事に気を遣う僕は、彼女の食事もしっかり見ていたのだ。食欲や食事の食べ方で、体調やいい走りのバロメーターになるからだ。

 

アテネ五輪の予選となった東京国際女子マラソン。その直前の1週間も、僕はQちゃんと一緒に食事をとることもなかった。気がつけば、彼女の身体はしぼり過ぎの感がぬぐえなかった。マラソン当日も「貧血じゃないのか?」と疑うほど顔色がすぐれない。

結果は、レースの後半に失速して2時間27分21秒の2位。結局、アテネ五輪へ行けなくなってしまったんだ。

「君の眠っている力を引き出す35の言葉」 小出義雄著 すばる社 178項より

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