柔軟的思考 VS 思い込みの激しい人


「いつもいつも、可能性を広げてくださり、ありがとうございます。 私が全く想像もできないことを思いつく、先生の頭は、ふわふわですね。(笑)」

というメールを最近頂きました。

時折こうしたように、柔軟と言って貰えることがありますが、自分でも柔軟だと思う反面、専門的以外な所は、普通の人以上に頭が硬かったりもしますから、私自身も柔らかくなれるよう、目指しています。


 

しかし日本人は、圧倒的に頭の固い人の方が多い。

規則やルールがあって、それに何の疑問も持たず、従う事が好きなのです。

また逆にそれとは違うことをする人がいれば、村八分にする。

ママ友も大変なようですが、グループに属さなければ、つまはじきにされたりする。大人がいじめをやっているのに、子供にはいじめはよくないという少し変わった世の中です。

 

柔軟に考えられる人と、思い込みが強く頭の固い人とでは、考え方が全く逆であるために、お互いを理解し、分かりあうことは難しい。

と言うより、思い込みが強く頭の固い人には、柔軟に考えられる人の考えを理解することは出来ない。

また思い込みの強く頭の固い人というのは、気も強いので、ガーガー言う事になりますが、

柔軟な人はそれに対し、「別にいいんじゃない?」といったような感じで、全然考えていない、やる気がない、どうでもいいような態度にも見られ、時にはそれが、益々火に油を注ぐ結果になってしまったりもする。

 

銀河英雄伝説ついでに、女性はそれ程面白くはないかもしれませんが、ヤンウェンリーとラインハルトの二人の天才が、初めて会って話をしたシーン。

しかし同じ天才でも、タイプがまるで違う。

金髪のラインハルトは、堂々とした振る舞いで、強いリーダシップを発揮しカリスマ性がある。

大衆は常に明確で分かりやすいものを好み、またカリスマ性のある人の元にいれば、ちょっとしたトランス状態になるため、気持ちよくなれます。そのため多くの人は、カリスマ的な人を求める。

明確で分かりやすいものを好むというのは、よく分からないものがあれば、絶対に買わない事から考えれば分かると思います。

 

それに対し、ヤンウェンリーは、どちらかと言うと、なよなよしていて、男性的でもなく、外見からは頼れるような人には思えない。

また何を言っているのか、何を考えているのかも非常に分かりにくいため、普通の人にとってはやきもきする。

そうした人と何かについて話し合う場合、天才のラインハルトであるから、会話がスムーズに進んでいますが、これが普通の人では、自分が批判されたと感じたり、勝手な解釈をして、怒りだしたりするでしょう。

 

これは普通の人は、何でも明確な答えを知ろうとしますが、ヤンウェンリーのように、物事を柔軟に広く考える人には、答えそのものがないため、欲しいものを探しているのに、見つけることが出来ずに、苛立ちを覚えるためです。

答えはあると言えばあるし、ないと言えばない。Aかもしれないし、Bかもしれない。また答えはゼロでもあるし、無数でもある。

などと言えば、それはまるで禅問答のようで、誰でも混乱したりすると思います。

それよりは誰でも明確な答えを知りたいし、また自分が禅問答のような発想法を持ち合わせていなければ、柔軟な人にも明確な答えを求めようとする。

しかし答えが無いような答えもあるのです。

 

こうしたことを分かっていないと、頓珍漢な所に思考を巡らし、妄想し、一人で勝手に怒り出したりすることにもなります。

例えば一つのアンチテーゼを掲げているに過ぎないのに、アンチテーゼという発想がなければ、それに対し過剰な反応を起こすし、

「例えばこういうことはありませんか?」など例えの話をして、それをヒントに考えるべき所を、「それはないな」などのように、どうでもいい所に気持ちが囚われて、思考が停止する。

また明確な答えを知りたいことに重点を置き、その答えが正しいかどうかなどは、二の次になる。

 

例えば「ストレッチはどれくらいしたらいいですか?」と言う質問は、言葉の上では謙虚に聞いていますが、頭の固い人にとっては、「ストレッチは何秒やったらいいですか?」と、既に無意識の中で考えが限定され、自分が勝手に考え出した答えを要求してきている。

だからそれに対し、「自分が気持ちいいと思うだけやったらいいですよ」などと言えば、言葉には出さなくても、「私はそんなことを聞いているんじゃない!こいつは何も分かっていない奴だ!」と怒り出し、

逆に、「15秒伸ばしてください」などと、適当なことを言えば、「いや~さすが、専門家の先生で、勉強していらっしゃる」と、自分が聞きたかった答えを聞けて満足し、時計を見ながら、15秒ピッタリやるかどうかに集中した、ストレッチをする。

 

明確な答えと、答えの無い答えを、もう少し別な言葉で置き換えて言えば、結果と過程と言ってもいいかもしれません。

結果というのは、誰でも分かります。

しかし過程は分からない。

イチローが凄いことは、テレビを見たりすれば分かりますが、どうやってイチローになったかは、分からないから、取り敢えず才能のせいにしておく。

才能の言葉は知っているし、他のことは知らないから、それで片づけられるのです。

しかしそれが正しいかそうでないかは、全く別な話で、答えの無い答えや過程の発想を持ち合わせていない人にとっては、正しいか間違っているかはどうでもよく、才能という分かりやすい答えで自分を納得させる。

と言っても、自分の中ではそれが正解になっています。
 

また過程は見ることが難しく、表面に現れない奥にあるものを、見たり感じたりしなければなりません。

しかしそんなものを見ることが出来ないので、表面の見た目で感じたもや、印象をどうこう言う。

その結果、1年後2年後になった時など、「あれっ、あの人何であんなに凄くなっているだ?」とか、自分が抜かれていたりする。

 

最終的にラインハルトは、帝国軍と同盟軍との戦いには勝ちましたが、一度もヤンウェンリーに勝つことは出来ませんでした。

また北斗の拳のラオウが唯一恐れたのが、柔の拳を操るトキでした。笑

建物も五重塔のように、柔構造で作っていれば、地震があっても崩れにくいし、今ではビルも橋も車もそういった構造を取り入れています。

もちろん柔と言っても、フニャフニャとは違いますが、昔の武士も柔を使った体の使い方です。

また柔軟な人は病気になりにくいし、逆に癌などの病気になりやすい人は、頑なな人がなりやすい。

だけど気持ちも考えも、柔らかく丸くというのは、難しいですね。だからコツコツとした積み重ねや訓練も必要になってきます。

また普段の意識ですね。これも直ぐには変わらないから、長年の雨の滴が岩をも削るように、気長に取り組む事だと思います。

 
最後に、ちなみにヤンウェンリーに挨拶をした、ナイトハルトミュラーの声優は、サモハンキンポーの声優をやっていた水島裕さんです。

気づきました?

たまにサモハンキンポーの声を聞きたくなるんだよなぁ~。笑

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