多くの人たちは形に拘る。学歴、職業、経歴、資格、ブランドなど。
なぜなら学校教育などで、そう教えられて来たからです。勉強が出来る奴が凄い奴、偏差値の高い学校に行った人間が優秀な人間であり、幸せな人生を送れるのだと。
しかしそれを信じて大人になった時、偏差値の高い大学に行ったけど中退した、やりたいことは何もなかった、上手く行かなくて職を転々としてしまう、お金はあっても会社の奴隷の様だった、人間関係で悩むことになった、うつ病になったなど、
教え込まれて来たことと現実は、違うことことが分かったりする。
また勉強が出来なかった人は出来なかった人で、学歴が悪いからダメなんだ、やっぱり資格がなければ駄目だなど、資格を取ればきっといい世界があるんだと言う発想になる。
隣の芝生は青く見えるものです。
自分の実力さえあれば、他のものに頼ることなく済みますが、それがなければ、どうしても「俺のバックにはこれがついているんだぞ」と、形に頼らざるを得ない。
また自分で生み出すことが出来ないので、組織の中で言われたことをただ従うということになってしまう。
よく皆で片づけなどをしている時に思うのですが、大体の人は、前の人がやっていることを真似する。真似をするのは当然で、全てはそこから始まりますが、しかしそこで終わってしまう。
そこから何も考えることが出来ない。
前の人が机を運んでいたら、ただそれに従って後をついていく。いつまで経っても、もっと効果的な方法や合理的な方法に気が付けない。
私の場合は性格が悪いのか、皆の様に真面目ではなく、サボり根性が並はずれていて、とにかくサボりたい。笑
だから出来るだけ無駄なことはせず、さっさと終わらせてさっさと帰りたいから、楽な方法、効率のいい方法を考えようとする。それが基にあったから、色々考えるようになったのです。
性格の悪さも長所になる。笑
ただ最近は年の功か、片づけは苦ではなくなりましたけどね。
また、「非効率なことやってんな」と思いながらも、無駄も無駄じゃない、皆で楽しくやる事も悪くはない、と思うようになっている。
ただ周りに流され、それだけになっては、頭の勘も鈍るので、そのバランス感覚に気を配っています。
実力が付いて来れば、見る目もついて来て、努力のコツも分かってくる。反対に実力がなければ、形しか見えず、形に囚われ形を努力するしかない。
本質を追求していくのと、形に囚われ努力していくのとでは、年数が経てばたつほど、雲泥の差になってくる。
そうなると周りからは天才に思われたり、〇〇さんだから出来るんだのような言われ方をされたりするようになってきますが、それは努力する重点が違う訳です。
と言っても、形以外のことが分からない人には、それ以外のものの存在が分からない為、「形じゃなくて何なんだ」、という事になりますが、こうしたものは誰か師について習わないと難しいですね。
まぁ、何度も言う様ですけど、よく見えるもの分かりやすいものに気を囚われることなく、それはフェイクだと思って、それ以外の所を注意深く観察することです。
手品にしても、お客に注意を払わせた所にはトリックは無く、それは一点に気を取らせるためのフェイクで、違う所でトリックを行う。
そうしたことを続けていると、気づいて来るものがあると思います。