直接ではなので、真実かどうかは分かりませんが、最近こんな話を聞きました。
ある小学生のチームでは、「休ませられるのを嫌がり、病院を受診すること自体を禁じているらしい」、とのことなのです。
そんな所もあるんですね。
しかしそれが成り立つというのは、需要と供給が合っているからで、監督など指導者たちだけの問題ではなく、それを求めている人たちもまた、大勢いるのでしょう。
そうでなければ、誰もそんなチームに子供を入れさせたりはしない。
そのチームは、詳しいことはよく分かりませんが、地元では少し強いチームのようなので、子供にそこで野球をやらせたい、と考える親もいるのだと思います。
しかし、地元で強ければ、プロになれるかもしれない、などと考えるのかもしれませんが、どんなに地元で強かろうとも、人っ子一人プロになっていないなら、まずプロにはならないだろうということで、プロになることには、全く結びつかない。
全国的に知られているなどするチームで、プロが何人か育っていたり、プロに育てた非常に優れた指導者がいるチームであれば、他の所より可能性は高まりますが、たとえそうした所でも、プロになれるのはごく限られた人だけでしかなく、大変難しいものです。
それを地元で強いと言っても、個人的に親が優れていれば、子供がプロになることもありますが、あくまでその地域で通用しているだけの話で、プロとは全然違う話。
またそれ以上に問題なのは、「休ませることを嫌がり、病院を受診すること自体を禁じていることがどうなのか」、といったことで、またそれについてどう思うかです。
私はそうした所からは、当然プロアスリートに育つことはないと考えますし、私のように専門的な知識や経験がなくても、自分の感性でどう感じ、どう考えるかです。
最近起こったアメフト問題は、決して他人事ではなく、こうしたこともあるため、割りと身近な問題なのではないかと思っています。
だから前々から、スポーツは必ずしもいいものではない、といったことを説明してきました。昔のいじめ、しごきは、はんぱなかったですからね。
またアメフト問題が起こったのなら、「他人のふり見て我がふり直せ」で、一度自分はどうかなと、見直す機会を頂いた、と考えることによって、問題などを事前に防いだり、間違いがある場合はそれを修正し、いい方向に進んで行くことが出来ると思います。
逆にそういうことをしないと、自分の所でも同じことが起こっているのに、それに気づかなかったり、対応が出来なかったり、間違ったまま進んで行くことになるでしょう。
面白いですけど、洗脳されている人は、他の洗脳されている人を見て、「洗脳されて可哀想だな」と思ったりするのです。
子供を強くしたいと思えば、強い所に入れようと考えるのが、当たり前な考えだと思います。
しかしまずその前に、「病院の受診を禁止している」という考えで、考えで本当にいいのか、正しいのか、子供のためになるのかを、考えてみるといいと思います。
実際に入ってみないと、そんな方針があったなんて知らなかった、こんなはずじゃなかったなど、分からないこともよくありますが、渦中の中に入ってしまっては、そう言うものだと思って、よく分からなくなったり、抜け出せなくなったりする。
今や少年サッカーは、プロ選手並みにチームを移籍したりしたりなどしていて、移籍してみたはいいけど、試合に出れない、チームに合わな、練習が合わないなど、色んな問題が起こったりして、大変なようです。
都会ではそうした話を以前から聞いていましたが、今では都会だけの話ではなくなっています。
そうした問題を100%防ぐことは難しいですが、いい所だけを見たり、いい話だけを鵜呑みにしたりするのではなく、自分が潜在意識レベルで、どう言うものを望んでいるかを問い正し、それに合っているかどうかを、実際に見たり話を聞いたり、色々と調べることで、自分に合った所が見つかりやすくなります。
塾でも学校でもチームでも、強い、有名だからといった安易な理由で選ぶことは、それなりの結果にしかなりません。
何事も、準備が大事で、準備によって全てが決まる。
「もし8時間、木を切る時間を与えられたら、そのうち6時間を私は斧を研ぐのに使うだろう。」エイブラハム・リンカーン
何事も上手く行くかどうか、成功するかどうかは、知識経験を積み、常にアンテナを張って情報収集を続け、準備に時間をかけて行くことですが、その中でも感性がとても大事です。
感性があれば何とかなる所があるし、それが無かったら、受験に合格するぐらいのことは出来ても、本当の意味で上手く行くことは難しいでしょう。
感性とは何かと言うと、考えないで感じる力、形に見えない所を見る力のことです。
目では見えない洗濯槽の汚れに気づき、その掃除が出来る人は、感性がある人かもしれませんね。笑
逆に感性が無ければ、見た目が綺麗だったら、裏が汚れているはずなどないと考え、目で見えない所の存在を否定するかもしれません。
スポーツの世界で、感性が無かったとすれば、プロになる事は不可能です。もちろん親に感性が無かったら、プロには育てられない。
具体的には、勝敗や結果に拘らないことが、一つ大事な所で、感性がある人にはそれが分かりますが、感性が無い人には、何を言っちゃっているのだか、全く分からず話が通じない。
最近ではサッカーで、試合は勝ったが負けたが、内容がどうだった、みたいなことを耳にするようになっているので、何となく分かる人もいるとは思います。
ただそれを実践するとなると、感性がないと難しい。
もし現在感性が無いのであれば、それを身に付けるしかなく、また大人は理詰めで考える様に、左脳的アプローチから、まずは頭で理解して、それを徹底的に心と体に染み込ませていくことです。
そういったことで、感性も次第についてきます。
勝ち負けに関することで言うと、よく考えて欲しいのですが、上手いことプロになれれば、それに越したことはありませんが、実際には奇跡の人ぐらいのレベルでないと、プロになれないのが現状です。
ある計算では、プロ野球選手になれる確率は、0・04%なのだとか。
だからほぼ100%と言ってもいいぐらいに、プロにはなれない訳ですが、そうした場合、全道大会に行きました、全国大会に行きましたとして、社会に出た時、何か役に立つことがあるのでしょうか?
確かに勝てば、その時は嬉しいし、自慢できると思います。
しかし社会に出た時には、それは何の役にも立たない。
自分自身が学生時代スポーツをしていた人もいると思いますが、その結果について誰かに聞かれたり、その結果で出世出来た、給料が上がった、皆から尊敬されたりしたでしょうか?
殆どないと思います。
大体の場合、過去のことではなく、今で判断されているし、過去に野球をやっていたとか、サッカーをやっていたことすら、重要視されない。
そのため社会に出た時に役立つものは、試合結果ではなく、どういった取り組み方をして来たかなのです。
取り敢えずこの辺で。