相手に認めさせるには?

親などに否定されれば、「そんなものやってみなければ、分からないじゃないか!」と主張したくなる。しかし実際に実力がある無いに関わらず、出来ない人間だと思われていれば、いくら根拠もないような主張をしても、相手の考えは変わらない。

また風邪を引いて、「バカは風邪引かないというけどなぁ~」と言ってくるのに対し、「バカではないけど、たまたま風邪を引いたんだ」といったことを、そのまま主張した所で、相手の考えを変えさせることは出来ない。

他にも仕事や恋愛、スポーツなど人間関係において、自分を主張したかったり、相手に認めさせたい、認めて貰いたいという事は、よくあると思いますが、その場合もただ主張するだけでは、認めて貰う事は難しい。

 

私も昔そうだったのですが、実力があれば当然相手にも分かるものだと思っていました。しかし知識や経験のない人、見る目の無い人、感性の無い人、頭の悪い人などには、たとえ実力があったとしても、それは分かりません。

例えば昔の喧嘩慣れした不良たちであれば、会っただけで相手がどれぐらいの実力か、大体の見当は付きました。しかしそうした経験のない今の若い人たちであれば、実際に殴られるまでは、全くよくわからない。

武道の達人であれば、相手の構えや立ち姿を見ただけでも、実力が分かってしまいますが、そうでない人であれば、筋肉が凄い、ごついぐらいが分かるだけで、他には何も読み取ることが出来ず、自分が倒されるまでは全く分からないでしょう。

そうしたように、たとえ自分に実力があっても、実力の無い相手には分からないのです。

 

そのため自分に実力があって、相手に実力がない場合には、知識経験、見る目、判断力がないレベルの人にでも、分かるような説明をしてあげなければ、それが伝わらないし、理解出来なくなる。

福沢諭吉も

「猿に見せるつもりで書け。おれなどはいつも猿に見せるつもりで書いているが、世の中はそれでちょうどいいのだ。」

と言っていますが、それぐらい優しく丁寧に分かりやすく教えてあげないと、福沢諭吉のように頭のいい人の考えは、普通の人には理解出来ない。

 

これとは逆に、自分の実力がない場合。

こちらの方が、自分の実力のないことに気づきにくいので、難しいかもしれない。どうしても自分には実力があると考えたいのです。だから「やってみなければ、わからないじゃないか!」と反論する。

しかし、いくらその人が主張しようが、実際に実力のある人にとっては分かっています。むしろそうした人に対し、そんな主張をすればするほど、逆に「コイツは何を言ってんだか」とか、「勘違いも甚だしい」と思われることになる。

 

整体スクールの体験会を行った時のことですが、施術を教えてそれをやって貰った所、教えた事とは全然違うことを勝手にやってる人もいる。

本人にすれば、自分が凄い人間、能力のある人間だとアピールしたくて、そうやっているのでしょうけど、本当に実力のある人が見れば、本人が分からないだけで、そうではないことは明らかです。

また本人にすればやる気があるのでしょうが、教える側からすれば、全くやる気がない。

つまりその人たちがやりたい、学びたいことは、自分が考え出した我流の手技や、我流を尊重するスクールであって、こちらが教えることをやろうとしないのだから、やる気はないのです。

教える方としても、本当には学ぶつもりのない自分勝手な人には、興味を持てないし、そういう人に頑張って一生懸命教えたとしても、伝わらないでしょう。

 

一般的なスクールであれば、募集の人数も多いし、とにかく人数を集めようとすると思いますが、こちらは単にお金を目的でやっているのではないので、コップにオレンジジュースが入っている中に、お茶なんか注いだら、全く別な味になるし、それを「こういう味なんですね」とか、「不味いですね」と言われても困ります。

そもそもこちらがお茶を出すのであれば、用意して欲しいのは、コップではなく湯飲み。

逆に下手であっても、教えたことを一生懸命やろうとする人の方が、興味好感を持つし、また見込みがあると考える。そもそも最初は誰でも下手なものです。だから下手なことは悪いことでも、恥ずかしいことでもない。

この辺は、学校教育や親のしつけなどの弊害で、皆ずれていたりします。何でも表面的な形ばかりに囚われている。

 

ついでに言っておくと、別にいじわるなことを言ったり、必要な説明をしなかったりなど、そうしたことは一切していませんが、不思議と我流を求める人は来ないし、学ぶ姿勢のある人は申し込んでくれる。

ちゃんと繋がっているのですね。

お金に拘りがある人は、お金に拘りの所に行くし、我流が好きな人は我流を尊重する所に行く、最近合気道を少し教えているのですが、不思議と自然派の方たちが来てくれたりする。

そういうお互いの引力がある。

 

もし実力のある人に対して、実力のない人がアピールしたい、認められたい場合には、認められようと自己主張をしないのが一つの方法。

逆にそれをすればするほど、ダメさ加減が目につくし、そういう人には、余り教える気になれなくなる。

と言っても実力のある人はそうそういないので、その場合はアピールをしなければならないのですが、実力のない人向けの方法に慣れてしまうと、本当に実力のある人に出会った時に、相手にして貰えなかったりもするし、自分の行動がおかしくなる。

スポーツで言えば、もっと力強くやれなどと言われて、無駄に力んで一生懸命さをアピールするような感じです。

 

長くなったので、続きはまたその内。

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