教えることの難しさと心構え

教えることというのは、相当に難しい。

「教えることは難しいですね」と、素直に言っている人ならいいのですけど、中には知ったかぶりや、分かった振りして言っている人もいて、そういう人たちには、考えも付かない程に、教えることは難しいものです。

何しろ全て自分の責任だからです。

しかし殆どの人は、必ず何かのせいにする。

そうではなく基本的には、全て教える側の責任にあり、そう考えられることが出来れば、教えることの本当の難しさや、教えることは難しいと言う意味がが分かってきます。

当然教える責任の重大性も分かる。

 

教えるというのは、何も先生と呼ばれる人だけでなく、親であっても子供に教えたりしますから、親も子供の先生で、全ては親次第で、親によって子供がどう育つのかが変わる。

しかし大抵はそれも、子供のせいにしてしまう。

例えば、「うちの子は全然勉強しないんです」と、自分がどうしたらいいのかを聞くのではなく、勉強を強制して貰おうと、先生にチクリを入れることもあれば、スポーツ障害や子供の病気など、子供を何とかして貰えば治ると思っている。

そうではなく、全て親なのです。

そのためには、全てを受け入れなければならないし、日々勉強し、気付きを得て、成長していかなければならない。

少なくてもそういう発想を持てるかどうかなのです。

そういう親や先生と、そうでない人とでは、子供は全然変わっていくでしょう。

だから教えることは難しいし、責任も重大です。

 

教える人の心構えとして、全ては自分の責任にあることを知っておくべきで、これさえ分かれば、後は別にどうってことはありませんが、もう一つ心構えとして知っておいた方がいいことは、教えるようになると、勘違いを起こしやすくなる事です。

例えば生徒に教えているのであれば、生徒より先生は凄い人、子供に教えているのであれば、子供より親は凄い人、自分が先輩で後輩に教えているのであれば、後輩より先輩が凄いと勘違いを起こしたりする。

確かにそうした面はあると思いますし、そういう人もいると思います。

しかしもしエジソンのように頭のいい子供でいれば、この子供は頭がいいと考えるのではなく、自分の視点から見て、自分の考えや価値観と違っていれば、その子は頭の悪い子供となり、また当然自分は、その子供よりも偉い人間だと考えます。

 

テニスの杉山愛さんのお母さんは、子供が一歳なら親も一歳と言う表現をされていましたが、それは親としての歴は短く、未熟であると言っているのです。

実際親になった人であれば、親の難しさは感じることだと思います。何しろ自分の思い通りなどには、全く行かないですからね。

しかしこれも勘違いしてしまいやすい。

仮に自分が仕事が出来るなど、凄い人間であったとしても、親としても凄いかはまた別の問題なのです。

そのため自分の子供が出来が悪いとすれば、自分が仕事などは出来る人間であっても、親としての出来は、悪かったということになります。

 

スポーツや何か習い事などしていれば、先輩と後輩がいます。

当然習いたての後輩よりは、何年かやっている先輩の方が、上手に出来たりしますが、スポーツなんかでもそうですが、凄い後輩がいれば、直ぐ抜かれたりする。

新人の伸び率は、非常に高いのです。

それを先輩だからとえばり散らしていたら、あっという間に抜かれてしまいます。

しかし自分が先輩で後輩(後輩でなくても誰か)に教えていると、その人が自分より優れていることに気が付かなかったりする。教えることで、優越感に浸っていられるのです。

特に感性の無い人、勘違いしやすい人、思い込みの激しい人などは、級や段、タイム、試合など、何か目に目るものが無ければ判断が出来ない為、優れた後輩がいても気が付きません。

またそういう人は、自分に吸収力が無いから、吸収力のある新人たちには抜かれてしまうのです。

負けず嫌いもそれが悪い方に働けば、不安が強くなり、自分の現状を認めることが出来ず、正しく物事を見れなくなります。

 

私はある武道をやった時に、そこにいた若い学生の女の子から、「倒れて欲しいなら、倒れてあげましょうか」と言われたことがありました。笑

「凄いこと言うな」、「一体何をそんなに対抗意識を持っているのだろうか」と思い、ビックリしましたけどね。

武道をちょっとかじった程度で、女性が男性を投げることなど出来やしませんが、武道を習ったことで、また他の人がお付き合いで倒れてくれていたことから、色々と勘違いしていたようでした。

そのお蔭で、女性でもそんな勘違いする人がいるものだと知りました。

またその時私は、「はぁ」みたいな感じで聞いていて、特に反論するなど何もしませんでしたが、そういう人は、こちらから特に何もしなくても、いずれ来なくなる。

上達することに関心があるのではなく、先輩風を吹かしたいとか、違う所に関心があって、それが通用しなくなると、そこの環境にはいられなくなるのです。

 

先生など教える立場になったりすれば、先生と言われたりもするし、持ち上げてくれる人もいる。また自分の教えていることや、やっていることが間違っていても、自分のルールが、そこでは通用したりします。

逆に教えてくれる人は、いなくなったりするので、自分の間違いや勘違いにも気づかず、益々自分は出来る人、優れた人と思ってしまいやすい。

また今まで脚光を浴びたことが無かった人や、思い通りに出来なかった人などは、自分がリーダーになったことの優越感は、かなりあると思います。

教える立場の人には、そうした様々な誘惑があるので、それをよく分かっていなければ、自分を見失い、おかしなことになってしまいやすいのです。

 

それと勘違いをしてしまうことの、もう一つ大きな原因として、「不安」があります。

先生になった、親になった、とすれば自分が先頭をきって、前に進んで行かなければならないし、正しいことを教えなければならない、というプレッシャーがあります。

また相談相手もいなく、自分の考えが正しいかどうかも分からない。

そのためそれをどうするかというと、自分は正しいと思い込むのです。

そうすることによって、表面的な不安は取り除くことが出来る。

しかしそれは、あくまで表面的な不安であって、根本的に解決したものでもないし、いくら自分が正しいと思い込んだとしても、それが間違っているものであれば、間違った方に進んでしまう。

学校の先生にしろ、部活の先生にしろ、親にしろ、皆正しいと思って教えていると思います。しかしいくら正しいと思っても、それが間違っていれば、間違った方向に行く。

 

以前社長さんが自殺した話をしたと思いますが、社長さんなんかも、表面的には偉そうにしていたりしますが、多くは相談相手もいなく、孤独で不安を抱えていたりするものです。

そのため銀座のブスママみたいな所に、社長たちが集まって行ったりする。

こうしたことからも、「自分が正しいと思い込め!」みたいなアドバイスが、ちょっとおかしいものだと分かって貰えると思いますが、もし間違ったものを正しいと思い込んだ場合は、大変なことになります。

 

教える立場になったなら、こうしなければならない、頑張らなければならないとなったりもしますが、その気持ちが強くなり過ぎると、自分の心の状態が、ニュートラルな状態ではなくなるため、上手く行かなくなります。

もし不安があったなら不安を持っていていいし、それを素直に感じることです。

また教える人間であっても、人間であるのだから間違う事もある。

それを極端に間違いを恐れて、間違っていないと見せかけても、それは気づかぬふりをしているだけで、却って間違いをやり続けることになってしまう。

しかし間違うことなどは当たり前で、また成功する人程多くの間違いを経験する。重要なのは間違わない事ではなく、間違ったら何が悪かったのかを考え、修正することです。

それを繰り返していくだけ。

あくまで間違わない事ではないです。

それを間違えてはいけないと考え、また不安などを思ったりしてはいけないなどと考えていたら、心は限界になりパニックになる。

最近の若いお母さんなんかは、そうなのでしょう。

間違えたら間違えた。それが分かれば、今度は違うやり方で行えばいい。そうしたことを行っていれば、無駄に頑張り過ぎたりすることも減ると思います。

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