私は形式ばったことが嫌いだったので、礼儀がどうのなどと言われれば、余りいい感じを持ちませんでした。例えで言えば、織田信長のように自由奔放の方が好きなんです。
しかし体の使い方を勉強していると、次第に礼儀の意味が分かってくる。
例えば正しい礼が出来れば、それが技になる。
作法にしても、適当に「じゃあこういうルールにしましょう」と決めたのではなく、それが最も理に適っていたから、最終的にそうなっただけです。
つまり作法が出来ると、簡単に言えば心も体も健康になり、武道の型稽古と同じことなんです。
しかし型の形は誰にでもわかるけど、型の意味が分からないから、「見栄えのことを言っているのかな」など、段々中身のない形式ばったものになってしまう。
織田信長にしても、もしかしたら上辺とか形式ばった人たちに、違和感や嫌気がさして、うつけを貫いたのではないでしょうか。
昔の不良にしても、表現の仕方が悪いだけで、世の中のおかしな所に敏感に察知し、案外感性や感受性が高かったりします。
逆に優等生と呼ばれる人は、そういうことはわからない。