とかく、他人のものはよく見えるものです。
だからこそ妬んだりもしがちになる。
確かにお金持ちだったり、一流のアスリートだったり、モテモテだったり、いいなと思えるような所は、色々あると思います。
しかし陰と陽の様に、表があれば裏もあり、いいと思える所もあれば、その裏には苦労があったりもする。
それが分かれば、人のことを余り妬んだりもしないのかもしれない。
たとえば一流のスポーツ選手であれば、血の滲むような努力を行っていたり、物凄いプレッシャーを抱えたりもしますが、それを体験したとすれば、
「私は絶対アスリートなんかなりたくない!」
と思うでしょう。
芸能界も華やかな世界ですが、もちろんその世界にも裏があり、消えていく人も多く、サラリーマン以上に非常に不安定な職業です。
また最近ではハリウッドの映画業界で、セクハラが行われていたことが暴露されてきましたが、そうしたことは普通に行われていて、日本の芸能界でも、毒まんじゅうと肉弾戦は当たり前と言われていました。
更に言えば、これは芸能界だけのことでもありません。
そうした表には出て来ない事もあるので、表だけを見れば、「いいな」、「羨ましいな」と思ったりもしますが、そうしたこと全てをひっくるめて考えると、今の自分も結構いいかなと思ったりもする。
こうしたことは「深い所まで見る力があるか」と、いうことも関係していますが、深い所までが分からなければ、「何か良さそうだぞ」、「あれをしたら私もああなるかもしれない」と思って、表面的な所を真似したくなる。
一流のアスリートが、昔こういう習い事をしていた、こう言う事をしていた、こういうことをやっているからと真似しても、一流アスリートになる事は100%ないですが、それを真似したくなるものです。
巷に出ている成功本などにしても、あれを読んで成功する人など、まずいないと言ってもいいぐらいですが、
「あなたにも奇跡が起きる!」
なんてタイトルだったら、
「えっ!本当?私も変われる?」
といった感じで、ついつい餌に引っかかる魚の様に、トラップに引っかかってしまう。笑
もちろん勉強の一環として本を読んだり、何かを体験したりすることはいいことですが、お金に困っていたり、病気をしていたりなど、ストレスを抱えていたりするほど、表面的な所に囚われてしまいがちで、物事の本質が見えなくなり、自分や方向性がぶれてしまったりもするものです。
何かしらの健康法やダイエット法にしても、勉強すればするほど分からなくなるぐらい、難しいものではありますが、
誰かにそれが当てはまったからと言って、自分も当てはまるとは別問題で、自分の持っている酵素や腸内細菌などの体質や、色んなことが関係していて、それをひっくるめて自分に合っているかどうかを検証していかなければならない。
書籍化されているものは、あくまで一般化しているものに過ぎず、個人個人には絶対合わないもので、それだけでは奇跡は決して起きないのです。
たとえば、ビタミンCが慢性的に不足していた人が、
「ミカンを食べたら奇跡が起こった!」
というタイトルの本を出したとします。
その人にすれば本当に奇跡が起きたでしょう。また同じようにビタミンCが不足している人がいたなら、同じように奇跡が起きる人もいるかもしれません。
だけど、ビタミンCが不足していない人であれば、原因は他にあるので、奇跡は起きない。
どんなものもこんな感じなので、たまたま合っている人ならいいのだけど、形を真似た所では意味がない訳です。
ついでに、一流のアスリートが「こうだ」、「こうすべきだ」と、言っていたとして、一流が言うのだから、間違いないと真に受け、真似したりもしますが、どんな場合でも本当に正しいのか合っているのかを、検証しなくてはならないし、その発言は、一体誰に言っているのか、育ってきた環境や体質も違うけど、自分にも当てはまるのか、といったことも考えなければならない。
特に本質的なことを言っているのであればいいのですが、形を言っているのであれば、一流と言えど、言葉だけを鵜呑みにせず、よくよく確かめる必要がある訳です。
それともう一つやっかいなのが、いつも本音で言っているとは限らない事。
テレビなど表だって言えない事もあれば、奥義のようなものは当然隠したりする。
隠すだけならいいけど、隠すだけだと怪しまれるから、一般の人に話す時には、形を変え全然違うものに変えて教えることもあります。
そうすると、当然それを真似た所で、というより、真似すればするほどダメになる事すらある訳です。
このブログでは、何度か真似することについて説明して来ていますが、真似することはそれだけ大事なことで、また難しいことでもあるからで、今回説明して来たことにしても、「そこまで深く考えていなかった」、という人もいると思います。
何事も安易じゃダメなんですね。
真似すべきことはあくまで本質的なことで、本質的なことは何かと言う視点の基に色んなことを勉強し、それを自分に当てはめ、「こういう場合はどうだろうか」と考えて行く。
そうしたことを繰り返していくと、より深い所や本質に近づいていけるのではないかと思います。