何故一流のアスリートに育てられないのか

テレビの番組でもあったように、一流のアスリートがこうして育てたといったものは、割とよく目にすると思います。しかしだからと言って、皆が皆育てられるのかと言えば、ほとんどの人は、一流のアスリートに育てることは出来ない。

なぜならそう言った所をいくら真似たとしても、根本的な所が違うからです。根本的なことが違えば、表面的な形を真似ても同じ結果にはならない。

 

その根本的な違いを、一般的には子供の素質や才能だと片づけられてしまいますが、子供の問題ではなく、親の基本的なことの違いが大きく、それが重要でまた難しく中々出来ない。

基本的なことというのは取り組むことはつまらないし、成果を出すまでには時間もかかる。また当たり前のことだったりもするので、テレビや雑誌では特集されない。

テレビや雑誌で特集されるのは、視聴率の取れる珍しいものです。またそうした所で、基本的なことを知ることもないため、表面的なものばかりに接することが多く、表面的な形の方に走ってしまう傾向にもある。

 

例えばイチローがバッティングセンターに通っていたことを知り、それを真似て子供をバッティングセンターに連れて行っても、ほとんどの子供はイチローの様に打てるようにはなりません。

それはバッティングセンターに行くと言う事実を真似ただけで、その中身は真似ていないからです。バッティングセンターに通った事実だけでなく、もっと踏み込んで、本質的なことを真似なければ、似て非なるものになる。

習い事などにしても、スポーツには水泳がいいからと聞いて、子供に無理やり通わせるのと、子供が好きで楽しんで通うのとは、中身が全然違う。

 

杉山愛さんのお母さん、杉山芙沙子(ふさこ)さんの失敗のエピソードですが、愛さんが子供の頃水泳に通い始めてから、絵画教室にも通うようになった。しかし水泳は愛さんがやりたいと言ったから通わせたのですが、絵画教室は自分の都合で通わせてしまった。

その都合には二つあり、一つは、「才能があるかもしれないから、やらせてみたい」という思い込みや期待。もう一つは、教室に通っている間、自由な時間が出来ると考えたこと。

その結果、絵画教室に行く時は嬉しそうな顔は見せず、それを見て「これはいけない」と反省し、苦い思い出になっているそうです。

 

しかし杉山芙沙子さんだからこそ、自分の都合を押し付けてしまったと、自己分析し気づくことが出来ましたが、これが普通は気づくことは出来ないし、今はダメでも将来きっと子供のためになるんだ、私は一生懸命やっていると、自分を納得させることの方が多いでしょう。

間違っているとも気づかないから、苦い思い出にすらならない。

親の思いが強くなり過ぎると、子供のためにと思ってやる事が、段々親の考えを押し付けてしまったり、期待をかけ過ぎてしまうことになります。

子育ても形的なことを真似するよりも、ごく基本的なことを勉強し、身に付けて行くこと。

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