スポーツはいいものだというイメージを持たれています。確かにスポーツで感動したりする。
しかしそれはスポーツの一面であって、何が何でもいいものではない。それを勘違いしない様に。
それを勘違いしてしまうと、スポーツで我儘な子供に育てることにもなってしまう。
例えば「スポーツマンシップ」と言う言葉がある。また「フェアプレー賞」があったりしますが、その言葉から分かることはなんでしょうか?
スポーツマンシップもフェアプレーも、皆してないってことです。笑
そうでしょ?
皆が当たり前にしているのなら、一々そんなことは言わない。しかしそうじゃないからそう言うものがある訳です。
オリンピック選手であれば、人間的にも素晴らしい人たちだと言うイメージがある。しかしオリンピックの世界では、ドーピングは当たり前のようなもので、多くの選手があの手この手を使って、ドーピング検査から逃れようとしている。
スポーツが手放しでいいというのであれば、そんなことをするはずがないのに、イタチごっこが繰り返されているのです。
また最近では、清原和博が覚せい剤を使用していたとして逮捕された。スポーツをやって人格が形成されるのであれば、スポーツを極めたような人程、そんなものには手を出さないはずです。
しかしそうではないのだから、関係ないんじゃないでしょうか。またそれは清原だけの話ではない。
だからスポーツがいいっていうのは、ただのイメージ、幻想なんです。
もちろんスポーツが悪いということではないし、いい面が一つもないと言う話でもない。つまりどんなものにもいい面と悪い面があり、スポーツであっても取り組み方次第で、月とスッポンぐらいに変わりますよ、と言う話。
また音楽や芸術など他のものが、スポーツに比べて劣っているのでもないし、それぞれに良さがある。それをスポーツだからいいとか、スポーツだけが特別だと考えるのは、ちゃんちゃらおかしいですよ、という事。
権威や形に囚われると、そういった考えが生まれてしまい、取り組み方次第で変わってしまう事に気づけない。
はさみやナイフは、便利なものであっても、使いようによって凶器になるのと同じです。
親はその所をよく考えること。
スポーツも取り組み方次第で、我儘な子供になってしまうし、いじめなどをする様になったりもする。親はそうした所をよくよく観察し、これは我儘だなと思えば、諭してやらなければならない。
また親も子供が活躍することは、親自身のことでもあるため、そこにエゴが生まれ、それを子供にやらせてしまったりもする。
これは熱心になればなるほど、親のエゴが出て来てしまいがちなので、それをどうするかというのは、とても大変なことです。熱心になってしまったら、もう無理だと思ってしまってもいいかもしれない。
だからその前に親も色々心構えなど、勉強しておくべきだと思います。
一旦周りが見れなくなってしまえば、修正は出来なくなる。
なんでも質が重要です。