つもりと言う人

これはセミナーの中で話したことですが、犬の散歩をする時、犬が前で自分が後からついていく、といった散歩の仕方をしている人がいると思います。

本人にすれば、犬に散歩をしてあげていると思っているのでしょうけど、犬にしてみれば、犬が人間を散歩させてあげていると思っている。笑

またそうした飼い主は、ご飯も出してあげたりしているものだから、自分が主人で犬の面倒をみてあげている、などと思うものですが、普通王様が食事の支度などしません。食事の支度は、召使にやって貰うものです。

だから犬にしてみれば、自分の召使なり子分なりが、自分のために食事を用意してくれていると思っているのです。

 

昔「知ってるつもり」というテレビ番組がありましたが、つもりというのはただのつもり。

いくら自分が主人のつもりになっていた所で、犬にしてみれば、飼い主が主人などとは思っていない。ただのつもり。

よく「私はやっているつもりなんですが」と言ったりする人もいると思いますが、確かにつもりなのでしょう。出来ているつもりが出来てるとは限らないし、分かったつもりが分かっているとは限らない、つもりは何の判断基準にもならない。

判断基準にならないから、それを判断基準にしてしまうと、成功する確率は低くなる。

そうではなく、本当に何が正しく、何が間違っているのか、真実を知りたいというのであれば、トライ&エラーを繰り返し、検証して何が正解なのかを確かめなければ、絶対にわからない。

しかし多くの人がそれをしないのは、面倒くさいのと、思い込みや先入観が強いこと。

頑張ったりなどすれば、自分が正しいことをやっていると考えたくなるから、それが間違っていうような情報は遮断する。真実を重視するのではなく、自分の考えを重視する。

 

面白い人もいて、月が欠けたり、満月になったりしますよね?あれを大人で本当に欠けていると思っていた人がいた。笑

「だって、欠けるって言うしょ」なんて言うのですけど、そうすると毎回、満月になって上手いこと復活する訳です。

これを私は笑ったのですけど、しかし私自身が確かめたことではないから、本当は分からない。私は偉い人たちの言っていることを、ただ信じているに過ぎない。だからもし皆でグルになって嘘を付かれていたとすれば、騙されることになる。

偉い人に依存していれば、それが間違っていれば間違うし、偉い人に騙すつもりがあったなら簡単に騙されてしまう。だから何事も自分で真実を確かめなければ、本当の所は分からない。

 

最近大人びた子供が増えていると思います。それを見てしっかりしているなぁ~と思ったり、違和感を感じたりもすることもあると思いますが、大人びた子供が何か変だなと思うのは、知識を勉強したに過ぎず、それを自分で体験したことがないからです。だから覚えたことをただ言っている。

知識が自分のものになっていない。

子供が知識を先行すると、大人びた子供のようになり、分かったような気になってしまう。初心者や中途半端な人が、知識をちょっとかじって、分かった気になるようなものと同じです。

知識を体験を通じて実感することで、その時初めてわかる。

 

親や先生であれば子供に色々教えたりしますが、その教えたことが本当にあっているのかどうか。自分で確かめたのかどうか。

もしそうではなく、間違ったことを教えていて、知らず知らずのうちに子どもの才能を自分が潰してはいないかどうか。

もし真実を知りたいと思っていて、子供に間違ったことを教えたくないというのであれば、つもりや自分の考えを重視するのではなく、それが正しいかどうかを確かめなければ間違えたものを教えることになり、子供を親自身が潰したりすることになる。

確かめる過程において間違えることは多々出てきますが、それは全く構わない。間違っていたことが分かれば、違う方法に切り替えるだけで、ただそれだけです。一番悪いのは間違った考えやり方に固執し、それをやり続けること。

それは、ギャンブルで負けた分を取り戻そうとするようなものです。

信じるな、疑うな、確かめろ。

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