運命の糸が切れる時

私たちは日々常に何かの選択をし、生きていますが、人生においていくつか、大きな分かれ道を迎えることがある。

それがいい方向に向かうのであればいいのですが、残念ながらそうではないこともある。

 

最近ある人が、大きな問題を抱えるようになったのですが、私から見てその人は、二回の間違いを犯したことが、それを引き起こすことになったと考えている。

例えば付き合った人が悪い人で、その後、麻薬などをやるようになってしまったとすれば、麻薬をやったことよりも、悪い人と付き合った時点で、運命の大きな分かれ道、引き金になったと考えられます。

 

その人の一回目の間違いは、2,3年ぐらい前でしょうか。二回目は去年の三月。

そして、二回目の間違いを犯したことをきっかけとして、三回目の間違いを犯すことにもなってしまいましたが、もしそのままそうしたことに気が付かず、四回目の間違いを犯せば、取り返しのつかない事にもなりかねない。

 

よく「運命の糸」などのように言ったりしますが、私は感覚的にそれを持っています。だからそれが切れたりすると分かる。

と言っても、自分の運命のことは大して分かりませんが、自分と関係している人との繋がりのようなものは、感じています。

切れたと思ったら切れるし、切れていないと思えば切れていない。

 

例えば誰かに感謝していたり、もしくは憎んでいたりすれば、良いも悪いもその人との関係は切れていない。またそれが強ければ強いほど、当たり前かもしれませんが、糸は繋がっている。

これが逆に感謝が薄れたり、無くなったり、もしくは恨みが無くなったりすれば、良いも悪いも糸が切れる。

携帯が無い時代などは、何年も会っていなくても、また連絡取ったりもしていなくても、心の繋がりありましたが、今の時代はLINEやメールなど物質的な繋がりなので、それがなくなれば、それで終わってしまいがちでしょうか。

 

誰だって運命の糸、人生の糸が切れるような選択はしたくはありません。しかし、それを見分けることは難しい。

世界陸上銅メダリストの為末大さんは、自身の著書、「走る哲学」の中で、こう書いている。

「それは諦めたのか、それは違ったと気づいたのか。それは貫いているのか。執着しているのか。この境目が難しい。この境目を上手に知る方法もないと思う。唯一道しるべになるのが自分は本当は何をやりたいのかという事。」

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