合気道和の極意

格闘技では相手と戦い勝つことを目指す。

しかし合気道の場合は、相手と一つになる事を目指す。それはたとえ敵であってもです。

「塩田剛三の世界」と言う本に、こんなことが書かれている。

 

「植芝盛平先生は、『相手が刀を振りかぶってきても、これを怖れ、対抗しようと思ってはいかん。ああ、我が友来たり、という気持ちが起きなければならん』といっていた。自分を切ろうとしている相手を友人と思うことなど難しいが、『和』とはそういうことなのだ。自分に危害を加えようとしている人間に対して、心からニッコリと微笑むことができれば、相手とて害意はなくなるはずだ。その心を養うのが合気道なのだ」

 

普通、嫌いな人は嫌い。

ごく普通の人であればまだしも、らりっているような人もいれば、平気で嘘を付く人、勝手な言いがかりをつけてくる人、考えを押し付けたり、決めつけたりして来る人、自意識過剰な人、プライドのある人など色んな人がいて、自分にとって嫌なことをされれば、当然嫌いになる。

それが嫌いならまだしも、日本刀で斬り付けるようなことに出くわせば、酷い恐怖に襲われ斬られてしまう。

もちろん今の時代で日本刀で斬られる確率は、1%もないですが、恐怖に襲われることはあるでしょうし、「お前馬鹿だべ」みたいなグサッと来る攻撃を受けることはある。笑

 

それを我が友来たれりなどとは、到底思えない。

それを我が友来たれりと思うのが合気道で、合気道の極意でもある。しかしそれが難しく出来ないから、達人には簡単になれない。

しかし達人は別にしても、誰だって攻撃を受けたりなどはしたくないし、ストレスを抱えて悩むよりは、上手い事対処出来るようになりたい。

では、そんな時どうしたらいいのか。

続けてこう書かれている。

「他人と最初に接したとき、どれだけ融合できるか。それによってその人間の器が決まる。だが、融合できないからといって嘆く必要もない。人間の器なんてのは伸縮自在だ。金物じゃないんだから、いくらでも大きくなることができる。器の大きな人間になるには、修行しかない。自信にどれだけ困難を強いることができるか。これが全てだ」

 

修行です。笑

それと嘆く必要もないというのも、大事なことですね。

普段会社などでいびられ続けているというのであれば、少し大変でしょうが、嫌いな人がいたって、酷く悩む必要はない。

今の自分はこういうレベル、段階なんだと思って、出来る範囲から少しずつ心の勉強など続けて行けばいいと思います。

少し嫌いとか、ちょっと苦手程度の人ならまだしも、装備もままならないのに、いきなりバラモスは倒せません。

bara
 

まだバラモスを倒せる段階ではないので、スライムとか倒しながら時間をかけてレベルを上げていく。そうしたらバラモスもその内克服できるようになれるかもしれない。

だけど何もしなかったら、一生克服出来ないし、仮にバラモスがいなくなっても、姿かたちを変えて、新たなモンスターがやって来て、レベルが上がっていないとまたやられてしまう。

修行!

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