前回、運の観点から言った場合、たとえば親が運が悪いのであれば、親とは付き合わないようにすると、運がよくなると言ったのですが、
一般的な常識から言えば、親を大事にするみたいなことがあるから、そんな発想は中々出て来ないと思いますが、その記事を読んでくれた人が、「そんな発想は無かった。だけど今思えば、親元を離れてよかった。」といったことを言われました。
自分に何かやりたいことがあるのなら、親元を離れるべきですからね。
大学、就職、結婚などで、大抵の人は親元から離れる。それと同じことです。
その場合も、親から「側にいてくれ」、「一緒に住んでくれ」と言われたりもしますが、自分がどうしたいか、何をやりたいかです。
半崎美子さんは、歌手になることを親から反対されましたが、何が何でも歌手になりたかったから、歌手になるために親から離れた。
歌手になるより、親と一緒にいたいならいればいいし、歌手になるのに親が障害となるのであれば、親から離れる。
あの大学にどうしても行きたいから、親から離れる。海外にどうしても行きたいから親から離れる。といった感じで、それだけのことですね。
だけど、自分が何をしたいのかはっきりしていなかったりすると、親も含め、周りに振り回されることになる。
親だからと自己犠牲の精神で、親の介護をする人もいますが、それがやりたいのなら、それもいいとは思いますが、酷い場合は、親を殺して自分も死ぬみたいに、共倒れになるでしょう。
これは介護でなくても、自分を犠牲にして、親のため、子供のためになんかやるというのは、同じように程度の差はあるにせよ、共倒れになる。
だけど、共倒れには、誰もなりたくないんじゃないでしょうか。
自分がやりたくて介護をするとか、自分がやりたくて親の面倒を見ると言うのであれば、自己犠牲の精神ではないのですが、自己犠牲でやらなければいけない、という思い込みがあるから、育児にしても、共倒れになりたくないのに、実際には共倒れみたいなことになっている。
ちなみに介護で言うと、年を取って寝たきりなり、口は動くけど、体は動かせないみたいになったりしますよね?
そうすると、
「かゆい~。掻いてくれぇ~」
みたいな感じで、四六時中、お呼びがかかったりもする。
人がいい人などは、「かいてあげなきゃいけない」と思って、一々作業を中断して、階段を登ったり、下りたりもしながら、わざわざ掻きに行ったりする訳ですが、そんな事をしていたら体も精神も持たなく、その内自分も病気になるでしょう。
だから自分の命を、介護にかかげる精神の人ならいいけど、そうでないなら、自分が出来ない事をやる必要はない。
「痒い~」
と言っていたなら、
「あぁ、生きてるわ」
と、そんなぐらいでいいんじゃないですかね。笑
寝たきりになると、何の刺激も無くなって、後は死ぬだけになりますが、痒いということは、ちょっとした刺激を与えることになり、免疫力を高めることにも繋がる。
痰が絡むと言うのなら、放ってはおけませんが、痒くて死ぬことなんて、まずないですからね。
だから痒いと言っていたなら、生きている、大丈夫だと言う合図だし、女性がたまにお化け屋敷に行ったり、ジェットコースターに乗ったりして、態々刺激を与えるのと同じように、痒い刺激が、長生きさせることに繋がる。
逆に、痒いからと言って、その全てを満たしていると、刺激が無くなって、後は死ぬだけとなるでしょう。
またむしろ気を付けるべきは、痒いと言っている時ではなく、何も言わないような時。
何でも発想の転換なのです。
それと介護は、短期戦ではなく、長期戦です。
ましてや、自分しか介護出来る人がいないと言うのであれば、自分が健康でなければならない。
そうした時に、自分が病気になるような介護の仕方では、目先の介護しか考えていないということで、長期的な視点で、介護を見ていないということでもある。
マラソンを走るのに、走ろうと思えばダッシュは出来るけど、そんなことをしたら、ゴールまで体力が持ちませんが、介護でも育児でも、長期的なのだから、
ダッシュしたりとか、小さいことに一々振り回されたりせず、どでぇ~んと構えて、自分が出来ることと、やりたいことだけに、集中すればいいですね。
そうしたら皆がハッピーです。