ノーベル賞と自己中

旭化成名誉フェローで、名城大学教授の吉野彰さんが、ノーベル化学賞されましたね。

大変凄いことです。だけど本当は、ノーベル賞を取ったから凄いのではなく、元々凄い。だからノーベル賞を取らなくても、評価される時代であると、もっといいですけどね。

 

とにかく天才と言っていい人だと思いますが、天才だけど数学はあまり得意ではないようで、またお皿も洗えないとか。笑

化学でノーベル賞だから、計算的なことは全て天才的に出来る気がしますが、そうでもないんですね。また天才は専門家の更なるプロフェッショナルみたいなものですが、そうすると、能力を専門分野に費やすために、ごく普通のことが出来なくなったりもする。

だからそういった天才は、結構多いです。


 

さて、吉野彰さんが、

「研究者っていうのは頭が柔らかくないといけないんです。大きな壁にぶち当たっても“まあなんとかなるわね”と、そういう柔らかさが絶対いると思います」

「しつこくしつこく諦めない。かたいばかりですとめげちゃいますし、柔らかいだけだと何も前に進みません」

と言っていた。

テレビで見た人も多いと思います。

しかしこれは、研究者だけに言えることではないんじゃないかと思います。

 

人生、頭が柔らかいに越したことはない。

それがないと、いつまでも一つのことに囚われて、上手く行かないし、人とぶつかるのも、一つのことに囚われているからです。

スポーツにしても、お決まりのワンパタンみたいな感じだったりする。

 

本人たちにすれば、色んな取り組みをしているのでしょうけど、俯瞰してみれば、やっていることがみんな同じで、それで上手く行くのなら、もちろんいいのだけど、同じパタンで毎回毎回、毎年毎年失敗する。

また一つのことに囚われているからこそ、違う方法、もっといい方法を教えても、全く理解できなくなかったり、やろうとしなかったりもするでしょう。

 

そのため上手く行くため、成功するためには、柔らかさが必要で、それと同時に、吉野彰さんが言うように、しつこく諦めない心、つまり辛抱強さがいる。

信念と言ってもいいかもしれない。

それもまた難しいし、それがないんですね。

 

スポーツで言えば、プロになりたいと言いながら、プロになるための練習ではなく、皆と同じ練習をしたがる。また練習で上手くなっていないのに、部活でやっているからという理由で、平気でその下手になる練習、怪我をする練習を続けたがる。

芯の強さがあれば、絶対にそんなことはしない。

だから旭川出身のオリンピック選手候補の選手は、高校時代、部活に行かなかったりした。

 

成功者というのは、ある意味で物凄い、自己中なのです。

「自分は絶対に幸せにならなければならない!」

「絶対に成功するんだ!」

と考えていて、それ以外のことは絶対にやらない。それが信念につながる。

 

これが大抵の日本人は、人がいいもんだから、

「私は幸せにならなくても、あなたの我儘を優先させます!」

「チームのためにぼろ雑巾になっても大丈夫です!」

と、自分では意識していないかもしれんませんが、そんな行動を取っている。逆に言えば、「絶対に成功しないぞ!」「成功する方法は絶対やらないぞ!」という信念を持っている。笑

それでストレスが溜まって、そのストレスを人にぶつけるものだから、人って変なもんです。

 

それと辛抱強さですね。

小さいものであれば、直ぐに出来ますが、大きくなればなるほど、エネルギーが必要になる。

缶コーヒーを買うなら直ぐ買えるけど、マイホームは直ぐ買えないのと同じです。

しかしそのエネルギーを溜めるまで、待てないんですね。

 

待てないから、レンガの家を建てるより、わらの家や木の家を建てる。そうすれば、

「私はもう家を建てた!私は凄いんだぞ!」

ということが出来るし、まだモタモタ家を作っている人を見れば、優越感に浸れる。当初の目的から、そっちの方に目的がすり替わる。

 

稀に天才型の人がいて、レンガの家みたいのを建てているんだけど、わらの家よりも結果出している人もいますが、それはあくまで稀中の稀で、それに自分が当てはまるケースは、まずないと考えて間違いないし、そういう天才型は、常に上を見ていて、わらの家の人など、全く見ていないでしょう。

もしかしたら周りも皆レンガで、わらの人がいること自体も、知らないかもしれない。

 

吉野彰さんは、一時期売れなくて酷く苦労されたそうですが、天才であってもそうした苦労があるように、常に右肩上がりに行くものではなく、スランプのようなものを経験したりもしますが、そこでやっぱり「わら」の道にしようとか、諦めるのではなく、辛抱強く乗り越えることによって、初めて大きなものを手に出来る。

と言っても、私は諦めも肝心だと思っていて、将棋の世界のように、その道はきっぱり諦めて、次の道に進むことも一つの方法ではある。

indou
「俺の名前は引導代わりだ!」

 

ここで言った自己中と、我儘とは、似ているようでも全然違うのですが、日本人はもっと自己中でいい。

私は未だ乃木坂だか、松坂だか、よく分かっていませんが笑、この曲は結構いいこと言っています。

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