手首などを、片手でも両手でも、がっちり持たせるとします。それを動かそうとなれば、余程体格差があれば出来ますが、中々難しい。
しかし体のことが色々と分かって来ると、力を使わずに、相手を動かす、崩す、倒すことが出来る。
そんなことを今までの人生の中で体験したことがないから、「え~不思議!!」となる。
また自分もそんな事は出来ないから、見ただけでは、「そんなことは出来る筈がない!」「イカサマだ!」となるでしょう。
しかしそれも今は、古武術が流行ったり、空手の達人がオリンピック選手を指導したり、ロシアの格闘術システマが広まったりしたので、「どうもそういうことも、あるっぽいぞ」と理解される様になった。
合気道では、「合気」と呼ばれるものを使うことによって、力を使わずに相手を崩すことが出来るのですが、合気は、余程見る目のある凄い人でもなければ、目には見えない。
目には見えないから、真似しようとする人は、見た目に見える所、また自分の今までのやり方でやろうとするから、全然違うことやる。
たとえば見た目では、腕を使って投げていると思うから、一生懸命腕に力を入れて、顔を真っ赤に、汗だくになって、うんうん唸って形だけの真似事をする。
相手が力を入れているんだから、それをどうこうできる訳ないんです。
それなのに何故出来るのかと言うと、その出来ない事を受け入れているからです。
現実をしっかり受け入れているから、対処法が見つかる。
と言っても、これだけで出来る様になったら、相当凄い人ですけど、しかし出来ないものは出来ないんです。
確かにやれば出来るものなのか、やっても出来ないものなのか、その判断は難しい。
また「諦めるな!」「諦めたら試合終了だぞ!」と、教えられてきました。
それも事実ではあるのだけど、出来ないものは出来ない。諦めるだけではなく、人生に前向きな諦めもなければ、いつまでも切り替えが出来ないでしょう。
やって出来るものなのか、やっても出来ないものなのかを判断する方法の一つは、やってやってやり尽くすこと。
それでダメだったのであれば、これは出来ないだろうと分かったりする。
釈迦にしても、苦行をやってやってやり尽くしたけど、悟りが開けなかったから、「悟り開くのに、苦行って全然意味無かったじゃんか~」と悟って、苦行を止めた。
他には、逆の発想を持つとか、違った角度から物事を考えるとか、無意識の枠組みを取っ払うとかをすることによって、気づいたり、閃きが出ていますが、しかしそれは受け入れることによって、初めて閃きが出て来る。
バタバタしている内は、一生閃かない。
この受け入れることは、別に相手を投げるとかそういうことだけではなく、全てにおいて言えることです。
たとえば何らかの痛みがあった時、それを受け入れることなく、自分を見失い、バタバタしたりするものです。
そうではなく、心落ち着かせ、ちょっと他人事ぐらいな感じで、「どうも痛いようだな」とか、「ここがこんな感じで痛いんだなぁ」とか、「へぇ~」みたいな感じで、痛みや症状を感じ取り、受け入れる。
そうすると、初めて次の段階に移れる。
逆にそうならなければ、いつまで経っても、また何をやっても、その痛みは取れない。むしろもっと痛くなったり、余計なことして酷くなったり、暴れ出す。
この場合も、それを受け入れられないというのであれば、もっともっと体を痛めつけて、もうお手上げですという所まで行くのが一つの方法。
手遅れの病気でなければ、その時に初めて素直な感情、人の話を聞ける、受け入れられる心理状態、必要な人の出会える段階になり、よくなる。
我がある内は、「そんなお金は払えない」とか、「忙しいからそんな事は出来ない」とか、「こうなるのは仕方ないんです」とか、自分に都合のいいことばかり考えるので、中々治らない。
スポーツにしても、プロを目指していて、子供をプロに育てられない親の多くは、現実を受け入れていない。
受け入れていないから、自分のやり方、田舎のやり方が、全国、世界、プロでも通用すると思っている。
また他の人は失敗しても、自分の子供だけは特別で、うなぎのぼりの様に、ぐんぐん成長すると思っている。
サッカーの久保建英選手であれば、ぐんぐん成長して行くのでしょうが、果たしてそういうレベルなのだろうか。
他の選手は、成長が止まったり、伸び悩んだりすることもあるけど、自分の子供だけは違うのだろうか。
大いに疑問に思う所ですが、現実を受け入れていなければ、そうした自分に都合の悪いことは一切無視して、自分に都合のいい所だけを見る。
夢幻の如く、あちらの世界におられる。
恋に陥ったら、頭がパッパラパーになりますが、そんな状態でしょう。
現実を受け入れることは、確かに厳しいことだし、難しい。人生において一番難しいことです。
しかし、受け入れることによって、全てが始まる。
キャバ嬢で有名なエンリケさんは、顔じゃ通用しないことを受け入れた。
手品師のマギー司郎さんは、昔は普通のマジックをやっていましたが、他のマジシャンを見て、これじゃ叶わないと、自分の才能を受け入れ、今のようなスタイルになった。
座右の銘は、
「自分の弱点は武器になる。弱点をさらけ出せば人は強くなれる」
弱点を受け入れていないということは、模擬テストで、間違っているのに〇にして、100点!ってやっているのと、同じでしょうね。
「今回も100点だったぞ!だからきっとプロになれるぞ!」
みたいな。
100点と言うとちょっと大げさだから、ゴルフでスコアをちょっと、ちょろまかすぐらいなものかもしれないけど、ちょろまかしている分、その弱点はいつまでも、克服されない。
「信号の青は進めだ」
みたいな、自分の出来る問題、やりたい問題だけやる。
成長するためには、テストを受けて確認するように、何が出来ているのか、何が出来ていないのかを、十分確認し、長所を伸ばしたり、短所を克服したりと、それに合わせたことをする必要がありますからね。
受け入れられない一つの原因は、出来ないと思うと、一生出来ないと思うからですが、テストと同じで、出来なかったのであれば、そこの解説読んだり、教えて貰えば、出来る様になる。
学校教育とかでは、出来ない人は出来ないままだったけど、それは学校教育の話しに過ぎず、出来ないものであっても、それを求めさえすれば、いずれ出来る様になる。
だから出来る範囲で、受け入れてみてください。