意外に分かっていない関連性の話

人は色んな影響を受け、また与えてもいるのですが、それにも関係していることで、関連性と言うのもある。

たとえば自信がある人は、自分に何らかの力があって、自信がある、また自分が存在していると考える。

もう少し違う言い方をすれば、自分は紫色だとすれば、「自分という人間は、紫なんだ!」と考えるのですが、実は違うんです。

何故なら、必ず相手との関連があって、自分がいるからです。

 

たとえば自分は金持ちだとする。

しかし、金持ちが成立するには、貧乏人がいなければ、それが成立しない。

 

同じように自分は頭がいい、力が強い、など色んなことがありますが、それも全て、相対的な関係があって、そう思っているに過ぎない。

だからそれらは全て絶対的なものではなく、相対的なものに過ぎないのです。


 

「私は足が速い」

と言う人もいるのでしょうが、ウサインボルトと比べれば、カス程に足が遅い。笑

相対的なものなんです。

 

次にもうちょっと面白いことを言えば、自分が紫色だとすれば、「自分は紫なんだ!」と思う訳ですが、それは絶対的にそうなのかというと、それも違う。

何故なら、周りに赤の人がいて、それと混ざった結果紫になっているだけかもしれないのです。

だから更に緑色が加われば、今までは紫だったのに、白になった、何てことがあるかもしれない。

そうした事を考えると、今まで自分だと思っていた自分は、違うこともありえるのです。

 

たとえば親や周りから、「お前は本当に馬鹿だね」みたいな感じで否定されていたとすれば、自分でもそういうような気がしてきて、またそうした役を演じたりもする。

 

しかし、

 

「あなたには、こんなにいい所があるよ」

「他の人はそう思ったのかもしれないけど、私はこう思うよ」

「あなたにはこんな才能があるよ」

 

などの様に言う人が現われたとすればどうでしょうか?そういう人たちにとっては、今までの人とは違う色に見えるし、また自分自身の色も変わる。

 

私で言えば、どんなに運動が苦手な人であっても、上達させることが出来ますが、普通は運動が苦手な人は苦手なままで、自分自身も、周りも、運動が出来ない人だと思っている。

運動が出来ないカラーになっている訳ですね。

しかし私だったら、「出来ない所がここだから、これを直せば上達する」と言うことが出来るので、その可能性のカラーが見えている。

 

それとは逆に、周りから、「この選手は凄い選手だ」と思われている選手がいたとする。だけど必ずしも、私も同じように考えるとは限らない。

「確かにそこの地域では凄い選手になるのだろうけど、これから伸びていくのは、こっちの選手だな」

と思ったりもする。

 

だから私にすれば、今は注目されていない方の選手が、光る原石に見えるので、投資をするとすれば、既に天井になっているものより、原石の方に投資する。

また私自身が、光る原石を指導したとすれば、その内、ダイヤモンドのような輝きを発する様にもなるでしょう。

 

そうした事から考えると、自分というのは、周りから色んな影響や関連性があって存在しているということが、何となく分かると思いますが、

ここで大事なことが、あくまでそうした影響や関連性があって、自分がいるのだから、そこで勘違いを起こしたり、調子に乗ったりしないことです。

人はつい、調子こきますからね。笑

 

たとえばラッキーが続いて、運が良かったとする。

そうすると、自分は運がいいんだと思うようになる。

 

自分は運がいいというのは、間違いのない事実だとしても、それは必ずしも、自分の実力があっての運だとは限らない。

もし関連性の結果、運が良かったのであれば、自分自身の実力ではなく、関連性の結果から生じた運ということになる。

それを自分自身の実力だと勘違いし、今まで運を与え続けてくれた人が、いなくなってしまうと、一気に運が悪くなる。

これは結構あることですね?

 

「売れたのは俺が凄いからだ」と思って、コンビ、グループを解散した途端に売れなくなるみたいな感じで、関連性が分からず、自分の実力だと勘違いを起こす。

整体なんかでも、整体を受けていたから、病気やどこかを痛めたりしなかった、若々しくいられた、運が良かった、ということがあったのに、

それを自分の実力だと勘違いし、間違った考え方、生活習慣を変えなかったために、手術したり、おかしなことが立て続けに起こるようになった、みたいなことが起こる。

 

しかし余程注意深く観察しないと、周りとの関連性が中々分からない。

そうしたことが分からないから、スポーツでも必然性を上げることが出来ないし、行き当たりばったり、思い付き、運に頼った、ギャンブル的な練習になる。

謙虚であることが大事であると言われたりしますが、過信や慢心を起こすと、自分の実力だなどと勘違いを起こす訳です。

 

「自分には運がある」

「あれっ、待てよ。運がいい時って、いつもあいつがいるよな。実はあいつって、俺にとってのラッキーマンなんじゃないか?」

みたいに考える必要がある訳です。

lucky

 

別に注意深く観察しなくても、日頃から感謝して過ごしている人などは、自分の実力でだからと考えるのではなく、周りの支え、色んなお蔭でもって、今があるという考えだから、そういう人は道から踏み外さないし、何事も上手く行く。

だから感謝というのは、大事なんですね。

そもそも普段から心から感謝して過ごしている人などは、病気にも余りならないし、幸せに過ごすことが出来ているでしょう。

 

ついでに言えば、感謝を頭で考える論理的な感謝を、感謝だと思っている人もいますが、そういう面も必要ではありますが、あくまでも感謝は、当然のことながら、頭で考えるのではなく、心で感じているものです。

論理的な感謝を使うのは、普段生活していて、無意識だけでなく、意識も使っているから、意識を利用する、また頭で理解するのに、「頭で考えてみても、やっぱりこうだな、だから大事にしよう」みたいない感じで、ついでみたいなものですね。

 

しかし、心の感謝が身に付いている人はいいのですが、今のストレスを抱えている世の中では、そうもいかなかったりするし、自分を受け入れて貰うことが難しいため、自分というのをアピールしたいという感情を持っていたりする。

それが「隙」みたいなものですが、それでちょっと上手く行くようなことがあると、「自分の実力があったからだ!」なんて考えたくなってしまう。

映画だとそういうような隙があって、悪い人に乗っ取られるみたいのありますよね?

スターウォーズもそうですかね?

 

気を付けなければならないのは、調子が悪い時だけでなく、それ以上に、調子がいい時も、自分を戒めたりする必要がある。

もし本当の自分の実力を知りたいのであれば、周りから赤も緑もいなくなった時、初めて「自分は青だったんだな」と気づけるのかもしれません。

だけど、いなくなってから気づいたのでは、遅いこともあるので、どういった関連性があるのかを、心を落ち着かせて観察してみれば、見えて来るものがあるでしょう。

 

その周りの影響、関連性を理解すれば、運がある人は引き続き幸運を維持できるし、逆に運が無いと思う人は、それを変えることによって、運気を上げることが出来る。

また落ち込んでいる時だけでなく、金持ちになっただとか、調子に乗っている時でも、ヤバい人はやって来るのですが、

特に難しいのは、いい人で、騙したりとかそういう悪いことをする人ではなく、全く悪気なく、運を吸い取るようなヤバイ人。笑

しかし影響や関連性の観点から、見て、感じていれば、そうしたことからも、なんか変だぞと、身を守りやすくなる。

yabee

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