股関節の手術をしたことのある人で、最近体を動かし過ぎているようで、立ち始めが股関節に乗れた感じがせず、痛みがあったり、暫く調子悪かったのですが、前回の施術で、「こんな感覚は久しぶり!」と、とても喜んでいました。
ということは、見方を変えると、その感覚を味わうために、痛めていたのではないかとも考えられる。
痛めたからこそ、いい体験が出来たし、健康であることの大切さを再確認出来た訳です。
上手いものを美味しく頂くためには、空腹にしとかなきゃ美味しさを味わえない。愛が何かを知るためには、愛以外のものが何かなければ、愛がどういうものかを知ることは出来ない。
ずっとみているスポーツに取り組んでいる小学生で、去年ちょっとした骨折をしたのですが、そんなのは痛いしスポーツできなくなるし、本人にしろ、親にしろそんなのは嫌ですよね?
しかし、骨折したお蔭で、その子は今年になって進化しました。
本人はプロを目指しているとのことなのですが、体からすれば筋肉がパンパンに張っていて、今のままでは、まず無理だろうという体でした。
整体をしても、スポーツをすればまた張って来るし、スポーツでは今までの延長で間違ったことをするから、いつまでも筋肉が張る体の使い方の癖が抜けない。
つまり、体のレベルが一行に上がらないのです。
趣味でやる分には、そんな感じでも大きな怪我しない程度にやればいいだけですが、マジでプロを目指すというのであれば、スポーツがマイナスの原因となっているのであれば、スポーツを暫く止めることも時には必要になる。
たとえば勉強もせず、素人が我流で家を建てたのであれば、何日か雨風しのぐ程度であればいいですが、地震にも強く、何十年経っても頑丈で立派な家を建てたい、というのであれが、専門家がそれを見ると、「これじゃダメだ」となって、折角建てたものであっても、一旦壊して、基礎工事からやり直し、作り直さなければならないですよね?
それが遠回りのようだけど、立派な家を建てるには、それが一番の近道で、それしか道はない。
またワンピースで例えれば、「麦わらの一味」の最初の海賊船である、ゴーイングメリー号は、ただの船ではなく、ルフィ達にとっては大切な仲間でもある。
しかし長きに渡る航海で、度重なる破損で次第にツギハギだらけとなり、海賊王を目指す旅にはゴーイングメリー号では、不可能なぐらいの状態となってしまった。
当然麦わらの一味にとっては、仲間であり、思い入れが深い船だから、別れたくなどない。そのため最初は、皆それを受け入れることが出来なかった。
特に今まで修理を行ってきたウソップは、最後までそれを受け入れることが出来ず、ルフィと仲間割れを起こし、大喧嘩にまで発展した。
最終的にウソップもそれを受け入れることが出来、新たな船、サウザンドサニー号で旅に出ましたが、直ぐに切り替える、割りきれるという訳には行かなかったんですね。
思い入れのあるもの、努力して来たものをパッと切り替えるというのは、難しい。
またスポーツで上手くなりたいのに、スポーツのためにスポーツを暫く止める、なんていうことは、中々理解出来ないことでしょう。
しかしお母さんも徐々に、その必要性を感じ始め、そう思うようになり、後は無理やり止めさせるのではなく、子供と上手に話し合って、その方向で進んで行こう、となって行ったのですが、その延長でちょっとした骨折が起こったのです。
骨折した時は、お母さんは怪我しないために、色々取り組んで来たので、少しショックを受けたようでしたが、しかしその結果、ごく自然な形で、暫くスポーツを止めることになった。
またそれだけでなく、今までは中々張りが取れなかったのが、前回ようやく、それが取れ、一段階上の体になったのです。
そのためお母さんも、「結果的に骨折してよかった」と言っていましたが、骨折のお蔭で体が進化し、目標に一歩近づいた。
目標のためには一見嫌なこと、マイナスに思える骨折が必要だったし、意味があるものだったんですね。
それと、これも不思議な偶然のようなもので、潜在意識から考えれば、中々面白い。自動的に進んで行く。
こうした例からすれば、痛みや病気と言ったものは、必ずしも悪いものではなく、意味があったり、いいものであったりすることが、少し理解出来るのではないかと思います。
ただ、いざ自分がそんな経験すれば、その時は「なぜだ!!」ってなるんですけどね。それは仕方がない。
それとよく大きな病気をした時などは、殆どの人が、「何故自分が!」と思ったりする。しかしそれを裏返せば、自分が病気になるのはダメだが、他人ならなってもいいということの裏返しなんです。
ただその気持ちは分かるし、誰もがそう思ったりするものなので、必ずしも悪いものでもない。後はそれを受け入れることによって、次のステージに進むことが出来るでしょう。
また逆に言えば、意味があって病気などになるなら、意味の無い病気にはなったりしないということでもある。
揺らぎ整体に来た症状の総合デパートだった人も、今は大分落ち着いてきましたが、ある時甲状腺の数値が高くなっていたそうで、「私甲状腺大丈夫ですか?」とメールで言ってきた。
詳しくは見ていなかったですが、特に違和感のようなものは感じなかったし、大丈夫だろうと思った。何故なら、いくら症状の総合デパート様だと言っても、その人がわざわざ甲状腺の病気になる意味がないからです。
その方はその方なりの問題を抱えていて、様々な症状が出ていた訳ですが、その取り組みを続けてくれていました。それによって波はあるものの症状が改善して行ったり、身近な問題が改善していっていました。
その全ての問題が解消されたのであれば、体の症状も全て解消されますが、直ぐに悟りを開くみたいなことは、中々簡単には行かないから、それに関係する症状は残る訳です。
しかしその問題と向き合い、取り組むことでよくなって行っている中、それ以外の関係ない病気、症状を作り出す必要がない。
だからならない。
次に整体した時に、少し詳しくみてみましたが、私の見立てでは、特に何もなかった。医者にしても、一応数値が多少なりとも高ければ、後から何かあって言われても困るので、そのご案内をしないといけないですからね。
もう一つついでに、骨折した子供もいくつか問題があって、一つは喘息持ちでたまに発作起こしていたようでしたが、それも本人が「何それ?」と忘れるぐらいに、発作が起きなくなった。
喘息を起こす必要性がなくなったのです。
喘息というのは西洋医学でもストレスと関係していると言われていますが、特にお母さんが目が三角になっていると、子供が喘息になりやすい。
喘息になって、「私はこうなんだよ!」と主張するので、その必要性が無くなれば、病気も消える。
世の中に意味の無いものなんてない、とも言いますが、嫌なものに思えても、それが必要だったり、意味があったり、上手く活用すれば進化する。
またどうしても最初は、「なんでだ!」とバタバタするのですが、少し心を落ち着かせれば、そう言えばこうだったかもしれないな、と思えたりすることもあるかもしれない。
それだけでも、痛みなどの症状は緩和し、改善する。
もしかしたら、難が有る方が、有難いかもしれませんよ。