見る目があるかないかによって、自分がいいと思ったものが悪くて、悪いと思ったものがいいことになるのだから、その後の未来、将来が大きく変わる。
だから見る目があるかないかというのは、自分にとっても、子供の為にも、かなり重要なものになるのではないかと思います。
ではどうやったら、見る目が付くかと言うと、実はそもそも、見る目自体は誰しも持っていて、多くの場合、それにフィルターがかかることによって、見えなくなっている。
そのフィルターが取り除かれさえすれば、誰でもあるレベルでの見る目で見ることが出来る。
それ以上のレベルには、見る目を養う必要があり、それによって、プロレベル、プロを超えた一流レベル、一流を超えた超一流みたいになっていきますが、まずはフィルターを取り除かなければ、見る目を養おうにも養えない。
では何故フィルターがかかるのか、どうやったらフィルターを取り除けるのかと言うと、フィルターがかかる原因は、感情にあり、それが取り除かれれば、フィルターは取り除かれる。
曇りなき、まなこで見定めよ。
分かりやすい例で言えば、全くの他人であれば、客観的に見ることが出来ますね?しかし自分に関わることとなれば、途端に見えなくなる。
これは感情と言うフィルターが邪魔をしてしまうためです。また見えないのは、見る目が無いからかと言うと、そうではなく、持ってはいるのだけど、フィルターによって見えなくなっている。
そのため誰しもが、自分に全く関係の無いものを見るレベルの見る目は、持ってはいるのです。
感情と言うのは、たとえば「自分は頑張っている」と言う感情を持っているとします。そうするとこんなに頑張っているのだからと、その分ひいきしてやりたくなりますよね?
しかし関係者はそうかもしれないけど、関係ない人にとっては、客観的に見て判断する。
スポーツで、「私は毎日走って、毎日素振りして、毎日必死に頑張ってきましたから、プロにして下さい」と言っても、
「いくら頑張ったって、下手な人なんか取らんよ」
「他の人も、皆頑張っていましたよ。あの人なんかは、もっと頑張っていたよ」
「この人なんかは父親を無くしても、頑張っていましたよ」
などのように、極めて冷静な判断が行われる。
不のスパイラルに陥ることがありますが、それは頑張ったりなどしたことから、それをひいきするフィルターがかかり、そこで判断が間違い、またそれを選択すると言うことを繰り返すために、スパイラルに陥ってしまうためです。
そこから抜け出すためには、一旦自分ひいきの感情、考えを捨て、客観的にフィルターの取れた見方から正しい判断をし、またそれを選択、行動するしかない。
人間だから感情的になることは当たり前のことで、そこにいいも悪いもないですが、ただ感情に支配されてしまうと、何も見えなくなってしまう。
何らかの感情が起こったとすれば、自分はそう感じたんだと、ただそれだけで、それはそれとする。
また感情的になっているのであれば、直ぐに判断したりせず、1日置いたり、間を置く。
そうすると少し冷静になっているから、フィルターが取れ、見る目も戻っている。
そうしたことを日々続けていく訳です。