いわおの身になれ

岩尾?

iwao

そうじゃない。笑

宮本武蔵が書いた『兵法三十五箇条』の中に、「巌(いわお)の身という事」があります。

ある時藩主の光尚が武蔵に、

「三十五カ条のなかに”巌の身”とあるが、どういうことか、分かりやすく説明して欲しい」と言う。

武蔵は頷くと、「では、求馬助をお召ください」と依頼する。

やってきた求馬助に武蔵は、「殿はお前に切腹を仰せつけられた。直ちに支度をするように」と申し渡した。求馬助は「承知いたしました」と応え、全く普段と変わらぬ様子で、切腹の支度を始めた。

それを見て武蔵は、「巌の身とは、これでございます」と説明したと言う。

 

これと同じことが、麻雀で20年間無敗と言われた、桜井章一氏の著書「生き残るヤツの頭の働かせ方」に載っている。

 ある出版社の編集長が取材でやってきた。この編集者をちょっと試してみようということと、具体的に礼を示して理解して欲しいと思ったので、近くにいた道場生を呼んでこう言った。

「おおい、Tくん。この編集長さん、言うことがつまんないんだよ。ちょっと頭をひっぱたいてあげて」

道場生のTくんは、何の戸惑いも見せずに編集者に近づいて行って、「もうちょっと、おもしろくお願いします」と言い、編集者の頭をパンと叩いて去っていった。

そして、私はこの編集者にこう言った。

「どうだい。これが壁を乗り越えているってことだよ。彼は乗り越えている。彼は相手が総理大臣でも、ボクシングの世界チャンピオンでも同じことをやったはずだ。もし、あなたが常識とかプライドに凝り固まった人だったら、彼にあるいは私に怒りを覚えるだろう。でも、あなたにユーモアとか遊び心があったら、『あいつ、なかなかやるな』という感覚になるはずだ。そこに人間性が現われてくる」

中略

 T君の話に戻れば、彼は行動する勇気という壁を乗り越えている。強いのだ。

 彼もまさか突然私に呼ばれて、見ず知らずの私のお客の頭を殴れなんて言われるとはまったく思いもしていなかったはずだ。それなのに、躊躇なく叩いた。知らない人の頭を殴るなんて悪いことに決まっている。その悪いことを、私の指示とはいえ躊躇なくできるというのが、壁を乗り越えているということなのだ。

 もしこれを躊躇するようだと、正しいことでも躊躇してしまうのだ。例えば、電車の中でお年寄りに席を譲ることを躊躇してしまったりする。普通は、お年寄りに席を譲ることは正しいことであり、やさしさであると教わる。だから、席を譲るのは正しいことだとみな知っている。だが、これでは実際の場面で躊躇してしまうことがあるのだ。正しいことでも行動するには勇気が伴うからだ。

 相手が知らない人や、自分の行動に対するリアクションが予想できない場合でも、まず真っ先に行動を起こせる勇気を教えなければいけない。この勇気という壁を越えさせるには、先ほどのような悪いことから壁の乗り越え方を教える方が実は有効なことが多いのだ。

 マイナスのことが出来る勇気を教えて、それをプラスのことにも応用していく。そうするとマイナスのことが案外簡単にできたりするものなのだ。

それを、プラスのことを先に教えてしまうから、躊躇してしまって体が動かない。あるいはとにかく正しいことやいいことだけをして、自己満足だけに浸ってしまうようになる。

 悪いことをどんどん教えろという意味ではない。悪いことができる勇気を教えることにも大きな意味があるということだ。

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