価値の判断

何か判断をする時には、自分の今までの知識と経験で判断する。逆に言えばそれでしか判断することは出来ない。つまり今までの知識と経験の量が圧倒的に少なければ、正しい判断は出来ないという事でもある。

高い山の頂上まで登った人であれば、下の景色が全て見えますが、そうでない人にはその景色を見ることは出来ず、自分が登った高さまでしか見えない。

そのため何か価値のあるものを目にした時、必ずしも価値があるものだから、価値があると感じることは出来ず、価値があるものであっても、知識や経験によって、価値がないものにも感じてしまうでしょう。


 

例えば絵画や壺などを見ても、それについての目利きが出来なければ、その価値は分からりません。それは骨董品と言ったものではなく、ありとあらゆるものにも言えることで、合気道を創られた、植芝盛平翁の演武にしても、一体何が凄いのかは、普通の人には全く分からないと思います。

だからそう言った凄い人に出会ったとしても、会ったから分かるのではなく、ただの爺さんにしか思えない。

 

「聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。」(マタイ七:六)

価値のわからない者に、価値あるものを与えるようなことをすれば、こちらに牙を剥けてくる。これは少なからず、経験があると思います。

物や人、アドバイスなど、自分が感じている、また考えている価値判断は、余りあてにはならなく、常に間違う危険性があるものだという事を、自覚しておかなければならない。

それを過信したり、拘ったりしてしまうと、それ以上価値のあるものを手に入れることが出来なくる。

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