思う事と行動

私は無料で教えているものもありますが、その問い合わせに来たメールで、名前はフルネームではなく、名前だけ。メッセージ内容は、「○○○を習いたいと思い連絡しました!」とだけ書かれた問い合わせが来ました。

ペンネームか?

と思ったのですが、笑

「○○○を習いたいと思い連絡しました!」

という内容を見ると、親切な人であれば、「これはきっと入会方法を知りたいというメールなんだな」とか、「日時や場所を教えて欲しいということなんだな」、と考えるのかもしれませんが、私は「習いたいと思ったんだぁ」と思う。笑

 

なんだか小学生の子供が先生に、「先生ハサミ」と言って、「先生はハサミじゃない!」なんてやり取りがありますが、それみたいに思ってしまう。

まぁ、それはいいのですが、これを見て思うことは、この人は恐らく自分が思いさえすれば、願いが叶うと思っているのです。

 

スポーツをやっている子供の親で、「子供に怪我はさせたくない」と思っている親は多いのですが、実際には怪我をして、私の所に治してくれと来たりする。

また中には、怪我をさせたくないと考えていたのに怪我をしたから、

「何故怪我をしたのか、摩訶不思議なんです!」

みたいな感じだったり、

「私は他の人よりも崇高な考えを持っていたのに、子供は怪我をしてしまったのです!」

と思っていたりする人もいる。

重要なことは、怪我をさせないためにどういった行動を取るかであるはずなのに、怪我をさせたくないと思っていれば、その願いが叶うと思っているのです。

 

だから恐らく

「今までどういう対策を取って来たのですか?」

と聞いたとすれば、行動は何もしていなく、怪我をしない事を願っていただけで、思ったら願いが叶うと思っているから、それに反して怪我をすると、摩訶不思議なことが起きたと思ってしまう。

また子供に怪我をさせたくないというのは、誰でも思っている事であって、それそのものは、他の人と比べて何ら特別なことでも何でもありませんが、何かのことに一生懸命になっていると、自分は怪我させないために特別なことをやっているような気がして、不思議と分からなくなったりもする。

 

ついでに、中には子供に筋トレは余りよくないと聞いて、「子供に筋トレはさせていません」と言う親もいます。

しかし体をみると、上腕三頭筋や腹筋が、異常に硬くなっていたりする。

体は嘘つきませんから、「腕立てもしていませんか?」などと聞くと、「腕立てはやっている」とか、「体幹トレーニングはやっている」と、言って来たりする。

 

「じゃあ、それは筋トレじゃなくてなんなんだ?」

と思うのですが、本人は筋トレはやらせていないと思っているので、やらせていないことになっているのです。

私は一般的な筋力トレーニングを、筋力を鍛える目的ではなくて、バランス感覚を鍛えたり、体の使い方を身に付ける為だったり、歪みを取るために行わせることもある。

だから筋トレと一口で言っても色々ですが、筋トレにそんなことがあるなどとは、余程体に詳しい人でなければ、まず分からないことで、そうすると後は筋トレしかないはずなのに、

それが筋トレでないとすれば、よくは分からないけど、良さそうだからあてずっぽやっていたのです。

 

プロアスリートを目指しているという人がいる。

この辺も少しやっかいなのですが、「目指している」という言葉では、どんな目指し方でも目指している事には変わりないので、嘘はついていないことになります。

だから毎日横になってテレビ見ながら、「私はプロを目指していますよ」と言ったって、本当なのです。

だけどもちろんプロにはなれない。

 

プロになるためには、プロになるための行動を取っているかどうかが大事なのであって、それが出来てさえ言えれば、自分が思ったことは関係ないし、思った所でそれだけでは願いは叶わない。

しかし自分がプロを目指していると思うと、全精力をかけて本気で目指す行動も伴っているような気がしてしまうのです。

 

前回のセミナーでは、首の使い方、胸の使い方をやりましたが、首を限界まで反れと言っているのに、皆反る事が全然出来ていませんでした。しかし本人たちは、一生懸命限界まで反っていると思っている。

しかし私が直すと、「あれっ」という具合に、全く反りきれていなかったことに気づく。

自分で思ったことはあくまで思ったことで、真実とは限らないんです。

だから自分が思ったことはあてにならなく、「そうじゃないんだよ」と、先生なり誰かに正して貰ったり、本当にそれで合っているのかを、検証しない限り、本当に正しいかどうかはよく分からない。

 

それと自分が思ったことや、言葉も似ていますが、私は同じように言葉を大事にする面もありながらも、あてにしていなかったりもします。

たとえば「私は全然ダメなんです」みたいに言っている人がいたら、「ダメなんだな」と思ったり、その人にアドバイスをした人の方が優れているように思ったりもしますが、本当は出来るのに、その人なりにダメだと言っているだけのこともあります。

 

空手などの凄い先生で、何十年もやって来ているのに、「空手を少し」みたいな言い方をする先生もいますが、その言葉を真に受けて、「2,3年かな」何て考えちゃダメな訳です。

特に少しとか、足が速いとか遅いとか、抽象的な言葉は要注意で、100メートル10秒台で走っていても、「私は余り速く走れませんでした」と言う人もいるので、そんな人にアドバイスなんかしちゃったら、てへぺろです。笑

また本当に謙虚な人は、そんな感じですが、一般に、成功者として知られている人でなければ、謙虚な人を出来ないと言っている理由で、出来ない人だと考えてしまう。

逆にオレオレ系の人だったり、夢を語るかのようなことを言っている人がいれば、凄い人のような気がしたりもしますが、実はただ言っているだけで中身はなく、地味なことしか言っていない人の方が、実は余程凄かったりもすることもあると思います。

 

また先生がある人に対して、「お前はダメだ」みたいなことを言ったとします。

言葉だけを考えれば、そうなのかなと思い、「言われていない自分はいいんだ」と思ったりもしますが、出来る人だから、もしくはこの人には言っても大丈夫な人だからと思って言う事もあります。

野球の野村監督は、ダメな選手は無視すると言っていますが、スポーツでは一番いい選手を、チームのためにダメだと怒ることだってあるのです。

 

何でも中身が大事だったりもしますが、思っただけでは中身がありません。

また思ったことで、道具を買って満足してしまうかのように、そこで自己完結してしまったりもする。

思ったことを行動に移さないと、実現できない。

行動です。

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