小学校の横を通ったら、徒競走の練習をやっていたので見ていた。
見ていて気になったのが、ゴール地点の1メートルほど前に、赤いコーンを置いていたこと。ゴールをしたら、そこにタッチして待っているルールの様でしたが、そんなとこに置いたら止まりきれないから、ゴール手前で減速してしまう。
実際に子供たちの多くは、減速してしまっているので、もっと遠くに置くべきだろうと思うのですが、先生たちはそれに気づかないのだろうか。それともあえてそこに置かなければならない理由があったのだろうか。
学校は、訳の分からない規則のある所なので、きっとそうなのでしょう。
もう一つは、紅白帽をかぶりますよね?
そうするとゴムがゆるかったりすれば、走って空気抵抗を受けた時に、帽子が脱げててしまう。完全に脱げた時などは、まるで地球に着陸しようとしているロケットのパラシュートの様でした。笑
完全に脱げきらなくても、それを気にしている子供が多く、そこでタイムを1秒から3秒程度もロスしたりしているのです。
そうしたことも気にならないものなのでしょうかね。
もしかしたら運動会の前には直しなさいということかもしれませんが、それまでは余り練習にならない。
私だったらキャップの向きを後ろにして被らせる。
それだけで空気抵抗が変わるから、体の小さい小学生など、1秒、2秒は簡単に変わってしまうので、ちょっとした裏技です。
速く走りたいと言っても、もっと広く柔軟に考えなければならない。
走り方など専門的なことが分からない事は仕方がないと思いますが、コーンの置き方とか、帽子とか、専門的な知識ではないから、誰にでも分かることです。
子供たちを観察しているかどうかの問題。
教えると言うのは、生徒を観察しないで教えることなど出来ませんが、日本の学校教育は、教科書に沿って教えるので、自分の教えるパタンを覚えれば、後はそれを定年まで繰り返すだけになりがちになる。
それでもし落ちこぼれたり、授業を聞かない生徒がいれば、生徒の問題になる。
そうすると、そこの学校の先生も、先生なりに観察はしているとは思いますが、それは自分が考え出した範囲内で、子供を観察しているだけなので、本当の所は、注意深く観察するには至っていない。
私は教科書的なことや規則など、型にはまることが好きでないので、セミナーでも一回もカリキュラム的な感じでは行っていません。
セミナーは、一応今回はこんなものをやろうと思ってはいますが、参加者やその場の雰囲気、進み具合に合わせて、やらなかったり、違うものをやったりもします。
日本人はカリキュラムに慣れているので、カリキュラムを作らないと来ないかなとも思いましたが、来てくれるんですね。
今週のセミナーも、また新しく来てくれる人がいる。
そう言えば、整体スクールの説明会で、内容に関しての質問はあるのですが、「カリキュラムはありますか?」と一度質問されました。これも知らず知らずの内に、常識に洗脳されている。気づかない所が怖いのです。
またカリキュラム的な学校のお勉強が得意だった人であれば、そうした質問があっても分かりますが、そうでもない人が態々自分の苦手分野に進む必要がないのに、それ以外のことを知らないと、不思議とやりたくなってしまう。
そうじゃなく、もっと柔軟に。
カリキュラムがない方が、インスピレーションも湧いて、新たな発見に繋がったりするのです。