集中力について、誤解されているように感じていますが、本当は集中することは、集中しないことなんです。
どういうことかというと、本当の集中力を発揮している状態は、一つのことというよりも、静かな感じで、どちらかと言えば、視野が広くなりよく見えたりするような状態です。
たとえば怒り狂ったり、パニックを起こしたりすると、周りのことが分からないぐらいに、一つのことに集中していますね?それが最高のパフォーマンスを発揮しているかというと、最悪のパフォーマンスです。
その最悪のパフォーマンスの逆が最高のパフォーマンスになる訳だから、一つのことに集中はしているのだけど、視野が広くなって、周りがよく見えるような状態が、本当の集中している状態なんです。
その本当に集中している状態のことを、昔の武道では「無念無想」と言われていました。
集中力という言葉は、集中するのだけど集中しないみたいな感じでもあるため、言葉が感覚的に合わないのですが、無念無想もしくは、無ということであれば、なるほどなと思う。
また無だとか、100M走などで集中すると、何も考えないみたいにも思うと思いますが、ウサイン・ボルトは、走っている最中、色んな事が頭の中に浮かんでくるそうです。しかしその状態で、最高のパフォーマンスを発揮している。
瞑想で雑念が浮かぶことが悪いことだと思われたりもしますが、雑念が浮かぶことは悪いことではなく、当たり前のことで、問題なのは浮かんできた雑念にとらわれることなのです。
スポーツの世界では、「ゾーン」に入った時に、今までの自分を超えた、最高のパフォーマンス出来ますが、そのゾーンの状態こそが、本当の集中力の状態で、無念無想の状態。
またゾーンになると、スキーやスケートなどで、滑るラインが光で見えたりもありますが、超一流のアスリートであっても、常にゾーンに入れるわけではなく、1回しか経験がないとか、1年に一回までしか出来ないぐらいに難しい。
これが昔の武道の達人と呼ばれたような人は、かなりのレベルでコントロールできたのではないかと思います。
私もゾーンではないかもしれませんが、動物と触れ合う所で、小屋の上の方に、子ザルが逃げていたのですが、突然私の方(頭)に飛びかかってきたことがありました。笑
その瞬間、
「躱すと同時に攻撃か?いやいや、そんなことしたら死んじゃうぞ!結構高そうだし、弁償させられるかもしれない。じゃあ避けるか。でも地面に着地して怪我しないか?そうか!肩だけ貸せばいいな」
と、1秒もない時間だと思いますが、それだけのことを一瞬の内に考え、結局体を捌いて肩を貸した。後から考えれば、肩を蹴られたので、なんとなく癪に障ったのですけどね。笑
野球でボールが止まって見えたり、もしくは交通事故で映像がゆっくり流れたなんていうことがありますが、本当に集中すると、時が止まったようにもなる。
そうした経験がある人なら、「集中力というのはこうだよ」と教えれば、子供に正しい集中力、もしくはそれに近いものを、教えることが出来ますが、そうでない人が教える集中力は違うものだから、教えれば教えるほど、集中力が無くなる。
ちなみに子供は皆、集中力を持っています。
子供は皆何かに夢中になりますよね?それが集中力。
しかしそれが本当の集中力だと気づかずに、凡人が凡人の考えている集中力を教えるものだから、元々皆集中力を持っていたのに失っていってしまう。
無念無想、ゾーン、夢中になることが、本当の集中力。
集中力で知って欲しいことが、もう一つあって、それはエネルギーを集中させる集中力。
こっちの集中力の方が、言葉ではしっくりきます。
大きな夢や目標を叶えるためには、それだけ大きなエネルギーを必要とします。
しかし便利で慣れてしまったことでも説明しましたが、エネルギーを分散させてしまうために、殆どの人が大きなものに、十分必要なエネルギーを使えなくなっている。
つまり集中力がないのです。
「お金がいっぱいあります」
「エネルギーの総量が人より多いです」
というのであれば、他の人よりも、集中力の割合が少なくても、大きな夢や目標を叶えることも、出来るかもしれませんが、それ程お金が多いわけではない、エネルギーが多いわけではない人が、それを分散させて使っていたんじゃ、大きなものを実現させるだけのお金、エネルギーが不足して、望みを適えることなんかできない。
家を買うためには、コーヒーを買ったりするのとは違って、その分のお金をためなければなりませんよね?
また家を探すのに、「新しくて、広くて、静かで、駅から近くて、コンビニやスーパーもあって、安い所がいい」なんてやってたんじゃ、いつまでたっても、見つけられない。
何かを削る必要がある。
「もっと集中しろ!!」
という言葉は、こういう時に使えばいいと思う。
それが嫌であれば、平均的にエネルギーを分散させればいいし、またもし今まで間違えていたのであれば、これから選び直せばいい。
人生は自由に自分で好きな道を選べる訳です。
最後にもう一つ。
集中力の使い処の話。
ここぞという時に、エネルギーを集中して使えば、最大限の効果を発揮できる。
たとえば、戦争なんかでは、 敵が分散しているうちに、そのそれぞれを集中的に撃ち破っていく各個撃破が効果的です。
歴史シュミレーションゲームの「信長の野望」なんかを、やったことがある人なら分かると思います。
今のゲームはどうなっているのか分かりませんが、各個撃破すれば、簡単に倒せるんです。
そうしたように、集中力の使い処というのがある。
信長の桶狭間の戦いなんかもそうですね?
戦力では圧倒的に今川義元が上回っていましたが、戦列が伸びていたのを好機とみなし、義元のいる本陣を一点集中攻撃したことによって、首を取り、今川軍を壊滅させた。
こうした集中力の使い方によって、時には自分より大きな敵であっても倒すことが出来たり、攻略したり、大きな夢や目標を実現したりする。
だけどそれが出来ないのです。
マイペースなのはいいのだけど、いつもワンパタンのリズムでしかなく、ここぞという時であっても、動くことが出来ない。それによってチャンスを逃す。
何かを変える、掴む時というのは、一点集中、一点突破によって、パッと変えることが出来たり、掴んだりする。
それがチャンスが来ているのに、またチャンスはあるだろう、みたいな感じで、ダラダラと時を過ごす。
チャンスなんかは、そうそうない。
人生の中でも、何度か大きく変わるチャンスのようなものが来たりしますが、その時に全てのエネルギーを集中させ、一点突破を目指し、それによって、全てが変わる。
全部をそれぞれ変えようとしたって、そうできるものではなく、桶狭間の戦いと同じで、一点突破することによって、全てが変わるため、そこに意識を集中しなければならない。
それを忙しいだとか何だとかと理由づけていると、折角のチャンスに気づかず、今まで通り過ごすことになる。
多くの場合、変わることよりも現状を維持することを選んでしまうため、常にチャンスを探している、待っている、準備をしている心構えのようなものを、どこかに持っていなければ、普通に過ごしていたのでは、現状維持になりやすい。
マラソンなんかでも、駆け引きがあって、スパートを掛けられた時、心の準備が出来ていないと、体のギヤを変えることが出来ず、置いてかれることがありますが、それと同じです。
またいつでもエネルギー配分を変えられるよう、心と体が居つくことの無い様、フットワークを軽くしておく。
チャンスは次はないという危機感を持っていてもいいかもしれません。
そうした心構えを持ち、忙しさや疲れなどで、エネルギーを枯渇させず、チャンスに気づける余裕を持てる、日常生活、体のケアなどを行う。
そうすれば、集中力を使うべきところ、使うべきタイミングで使えるようになる。