感性が無い人は、感性と言う概念そのものが無いから、感性を身に付けようとも思わない。事務的な作業をこなすだけなら、問題はありませんが、感性が無い人が、感性を必要とされる世界では、全く通用しないし、苦労することになる。
しかしそんな感性がないという人でも、感性を身に付けたいと思ったのであれば、感性を開発すれば、誰でも「感性ってこういうことかな」と次第に分かってくる。
よく感性を磨けと言われますが、無い人は磨きようがないので、その前にまず感性を開発する必要があるのです。
次に感性のある人ですが、そんなに多くはいないですが、それでも感性のある人は大勢いるでしょう。ただ感性があったとしても、それで上万事手く行くかと言うと、そうではない。
感性にはレベル1~レベル99といった感じで、どれだけ感性を磨いて来たかで、同じ感性があると言っても、全然違う。
感性も磨かなければ、宝の持ち腐れなのです。
磨けば光る。
錆びた鉄だって、磨げばピカピカになったりもする。
それと同じように、感性も磨くことによって、レベルが上がって行き、それを上手く活用できるようになっていく。
では、どうしたら感性を磨くことが出来るのかと言うと、一つはなるべく本物のと接するようにすることです。
たとえばどんな分野であったとしても、本物の人、本物の先生がいるとすれば、その人と接する機会を増やすだけで、勝手に感性は磨かれていく。
(こういうのも、前回説明した、何もしない力ですね。本物と接する事だけはして、後は何もしないような感じ。)
感性がある人とない人とでは、何が正しいと考えるのか、間違っていると考えるのか、もしくは何をいいと思うのか、悪いと思うのか、考え方、感じ方、捉え方、ものの見方、視点が逆なのです。
そうすると、当然努力をするにしても、感性がある人とない人とでは、目指す方向が全然違うのだから、結果も全然違うものとなる。
しかし殆どの人は、ただ努力すれば結果が出るだろうと思うので、努力の方向性、質といったことを考えない。
本物と接することで、「そういう見方をするんだ」、「そんな見方もあるんだ」、「そういう風に考えるんだ」といったことを、自然に学ぶことが出来る。
そうしたことを続けることによって、自分の世界から、感性の世界、プロの世界、本物の世界が少しずつ見えてくる訳です。
他にも、いいものを触るようにする、使うようにする、といったことももちろんいいし、添加物だらけのご飯とか、ジャンクフードのものよりは、手作りのものの方が感性を学ぶにはいい。
逆にそれとは真逆の生活をしている人は、「そこまで感性ないもんかな」、というぐらいの感性のなさだったりもする。
お金をかけたくないという人は、自然は完璧な作品であるため、自然と触れあうことなども、感性をタダで学ぶことが出来る。
感性を磨くと言うと、クラシックコンサートに行ったり、よく分からない絵画を観に行ったり、海外旅行に行くみたいなことを、イメージしたりもしますが、感性を磨くのに、必ずしもそんなことはしなくてもいい。
感性のレベルが低いのであれば、小学生が大学の講義を受けるようなものですからね。
ただ、折角タダで出来るものもあるのに、タダには価値がない、流行っていないと思って、やらないんです。
その時点で、そう考えている人の感性の無さが分かるでしょう。笑
折角タダで出来るものは、タダで感性を磨きつつ、それと当時に、本物と接する機会があるのであれば、意識的に接するように投資する。
それを2,3年も続けていたら、誰だってそれなりの感性のレベルを身に付けられます。