一生懸命の誤解

多くの人は何か結果を出そうとした時に、一生懸命やるかどうかの所に、拘る事が多いと思います。しかし一生懸命やりさえすれば、いい訳ではありません。

子育てにしろ、スポーツの努力にしろ、間違った努力を一生懸命にやり続けた所で、いい結果にはならないからです。

しかし一生懸命やっている内に、それが正しいものであるという錯覚、またこれだけやったのだから正しいと思いたい、信じたい気持ちが生まれてくる。

 
「努力をすれば報われる」を多くの人は、「努力の量をこなせば、必ず結果が付いてくる」と考えていますが、そうではなく、「結果は努力した通りに出る」ということです。

つまり質量ともに高い練習、正しい練習を行ってきたのであれば、それなりの結果が出ます。しかし間違った努力をどんなに一生懸命行った所で、オリンピックで金メダルを取れることなど100%ありません。

いい結果が出た、余りいい結果が出なかった、それは全て努力した通りのものが、結果として繁栄されるのです。

 

もう少し違う言い方をすれば、多くの人は、「これは絶対売れるぞ!」と思いついたら、それを売ろうとします。しかしそれは、その人が勝手にそう考えているだけであって、実際はそうだとは限りません。

閃きがいいというイメージがあるので、そういったことを思いつけば、きっと売れるんだと考えてしまいますが、実際に売ることが出来ている人は、ごく一部の人間で、ほとんどの人は失敗しています。

ではどうするかと言うと、リサーチやテスト販売を繰り返して、何が欲しいのか、何を求めているのかを知り、それを売る。

そういうやり方、発想を持つ。

 

努力にしても、一生懸命やりさえすれば、万事オッケーとか正しいとは限りません。正しいかどうかは、検証をしない限りわからない。またそういった取り組みをすることなく、努力したことそのものに拘れば、後戻りが出来なくなる。

そういう意味で子育てなどは、一生懸命やらないことを勧めたりしています。親であれば、別に一生懸命やらなくたって、子供の為を思うことは当たり前ですから、それ以上に殊更何かをしようとしたりすれば、力んでしまったり、押しつけてしまったり、悪くなることの方が多いからです。

 

現在何か一生懸命やっていること、頑張ってやっていることがあれば、注意して下さい。それが正しいと信じたくなりますが、そこは冷静に、客観的に考えて、一度本当にそれが正しいものなのかを判断してみる。

また正しいと思っている根拠は何なのかを考えてみる。

 

例えば小学生で全国大会に行ったとする。

そうであるなら、今までやって来た練習は、全国大会に行く目的としては、正しかったでしょう。しかしそれとプロになる事や、オリンピックになる事は全くの別問題。

そういったことを判断するのは難しいですが、正しいと思いたいという感情を捨てることによって、はじめて正しい判断が出来るようになり、努力を無駄にしないで済み、努力を実らせることが出来ます。

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