慣例的な指導法

昨日初心者にどう受け身を教えればいいかと、家の中で受け身をやっていたら、段々受け身をするのに夢中になってしまい、そしたらドアの縁の所にかかとをぶつけた。笑

かかとなんかぶつけたことないかもしれませんが、足の小指をぶつけるぐらいに痛いですよ。笑 ちょっと腫れ上がって昨日は歩けませんでしたが、今日もまだ少し痛い。

 

初心者に教えることは大変勉強になりますが、いつまでも成長できない人は、初心者は自分より劣っている存在であると考え、初心者から学ぶことが出来ない人。またその人が上の人からであれば習えるかと言うと、深い所までは学び取ることはできない。

自分が下の内はそれでもいいかもしれませんが、しかし自分が偉くなると、教えてくれる人や叱ってくれる人がいなくなってしまいます。そうなった時には、あとは下の人からしか学ぶことは出来ません。

それが出来なければ、本当は誰も言わないだけなのに、偉くなった様な気になってしまい、実際には勘違いしているだけの人間になってしまう。そこが恐ろしい。

だから勘違いしたくない人、成長したい人は、初心者からよくよく学ぶことです。

 

受け身を教えていて思ったのが、受け身一つとっても、多くは慣例的な教え方をしてしまうことです。

何事も自分が経験してきたことを教えることは当然ですが、ほとんどの場合慣例的な教え方をする。つまり深く考えたりすることなく、ただ昔はこうやっていたからこうする、というように教えてしまう。

それでは個人個人には合わないものも出て来るし、間違っているかもしれないし、間違って伝えているかもしれないし、よりいいものに変えることも当然出来ない。

 

スポーツであれば、最初にランニングしてストレッチして、といったやり方をやってきたのであれば、それに何の疑問も思わずそれをやらせてしまう。

既に自分では気が付かない所で先入観、思い込みが生まれているのです。その枠が決まっていて、その枠組みの中でどうこうしようとする。

それが強すぎると、その枠に対する根本的に違うことを言えば、「こいつは何を言っているんだ」とか、「昔からこうだ」とか、「こうやるのが当たり前だ、常識だ」となる。

これが囚われのない人がそんなことを言われたとしても、「昔はそうだったのでしょう」、「今の常識はそうですよね」ぐらいにしか思わず、それイコール正解だとは考えないから話が噛み合わない。

 

一般的には常識が正解であると考えるのかもしれませんが、別に常識が正しい訳ではありません。それは過去のことから考えれば分かることで、今の時代だけが常識が正しい時代になった、と考える方が難しいのではないでしょうか。

もう一つついでに言えば、テレビでこう言っていた、本にこう書いてあった、更に言えば教科書に書いてあったというのを、絶対的な根拠にする人がいますが、教科書ですら間違って書かれていることは多いので、絶対的な根拠にはなりにくい。

科学的に証明されたものは、一つの根拠として使えますが、それも例えばカルシウムが健康にいいと科学的に証明されても、牛乳はまた別の問題なので、牛乳までも健康にいいと証明されたことにはならない。牛乳は牛乳。また牛乳が健康にいいと証明されたとしても、どんな場合においても健康かというのは、また別な問題で分けて考える必要がある。

そのため正しいかどうかは、自分が正しいと思ったものを、自分なりに検証していくしかないのです。

 

自分が教えていること、また自分が考えているものが、慣例的なものでないかどうかを、考えてみて下さい。

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