勉強が出来ないからという理由で餓死をした人は世界にはいない
と、ヨーロッパを拠点に活躍する国際ビジネスマンの今北純一さんは言う。
人は、学校の勉強が出来ないからといって、なぜ悩まなければならないのかと考えた今北さんは、餓死するようなことがないなら、勉強が出来なくても生きていける。だったら好きなことをやったらいいのではないかと気づいた。
また勉強が出来る、できないと、頭がいい悪いとは違うと。
「頭がいい悪いで餓死をする可能性はあると思うのですね。自分で何も考えずに生きていったら、根なし草なしになって最後は死んでしまうかもしれないし、自殺するかもしれませんから」
「頭の良し悪しと、学歴があるなしとは、まったく独立していることを理解すべきだと思います。東大を卒業して大企業に入り、出世した人はたぶん、頭がいいと本人も周りの人たちも思ってしまっているのですね。しかし、そんなに頭がいい人たちばかりだとは、私は思いませんね。
というのは、むろん頭のいい人もいるにはいますが、部下が多いとか、会議の数が多い、その会議をとり仕切っている-そういうことで頭がいいと錯覚している人が実に多いからです。彼らは、限られた仕事空間の中で現実的には繰り返ししかやっていないので、頭の中が硬直化しているわけです」
(『定跡からビジョンへ』文藝春秋刊)
学校では勉強は教えるけど、頭を良くすることは教えてくれません。だから勉強が出来る人はいても、頭がいい人はあんまりいない。
頭がよくないことは致命的です。餓死するかはわかりませんが、命を落とす危険性は十分にある。というよりも多くの人が、頭の問題で命を落としていると言ってもいいかもしれない。
頭と言うと頭の問題として考えますが、頭と心は同じようなものです。
学ぶ心がありさえすれば、頭は良くなるし頭はいい。
でも学ぶっていうのが、中々難しいですね。漢字を覚えるとか英単語を覚えるとかということではないですから。
自分の間違いに気づいたり、自分を変えていくこと、素直になることが学ぶこと。
そのために色々と苦労をしたりもしますが、気づいた時はうれしいものです。