テクニックではなく本質的な体作り

野球であればバッティングとかピッチング練習のようなことを行う。また筋力の強化を考えたりするでしょう。

確かにそうしたことを行えば、何もしないよりは上達する。

しかし、例えばそうしたやり方で小学生の頃から何年も練習して来た人と、スラムダンクの桜木花道とどっちが上手くなるかと言えば、桜木花道の方が上手くなるし、わずか数か月で抜かれてしまう。

 

これは漫画の話だけでなく実際にもあることで、今までやってきた競技から新たな競技へ転向し、そこからわずか数か月で日本のトップクラスの選手になったというのは、割とよくある話です。

また特に今までスポーツを全くやったことがなくても、アフリカの自然の中で暮らしてきたような人に、スポーツを教えれば、恐らくその人の方が短期間で上手くなって、また超えられてしまうのではないでしょうか?

こうした違いが、一般には「才能」と言われていますが、違う言い方をすれば、もう少し本質的な体の違い。それが違うから、何年もテクニックを練習していても、簡単に抜かれてしまったりする。

 

ではそうした体は、もうどうにもならないのかと言えば、全くそんなことはなく、テクニックではなく本質的な体作りを行っていけば、誰でも変えることが出来る。

そもそも本質的な体というのは、元々誰でも持っていたものですが、間違ったことを習ったり、生活習慣の問題などで後天的に失っただけなのです。

 

しかし全ての物事において、本質的なこととは何なのかなどよくわかりにくいように、本質的な体作りも分からないし、目先のことに囚われてしまう為、誰にでもわかるテクニックの練習に走ってしまう。

ダイエットなどのことで考えて貰えればいいですが、運動と食事に気を付けて、地道に続けていくと言うよりも、「わずか一回やるだけで」とか、「一日たった十分やるだけで」、「これを飲むだけで」、などといったものに多くの人が飛びつくことと同じです。

 

また本質的な体作りとは、間違ったやり方で練習してきたのであれば、もう一回土台作りからやり直さなければならないように、一旦リセットする必要も出てくる。

しかし今まで自分が積み上げて来たものを、リセットすると言うのは勇気がいることで、誰にでも出来るけど誰にでも出来ることではない。

もし出来なければ、低いレベルの体でやっていくしかない。そういう意味でも本質的な体作りには、難しさがある。

 

腕立て何回、スクワット何回、シャトルラン何セットなどというのは、自分を捨てる必要がないし、全く頭も使わなくていいので、誰にでも出来る。

他の人が10回やっていたから、私は20回やりましたというのも、確かに努力ではあるけど、それは同じ次元の違いでしかない。

もっと高次元な練習をしている人、高いレベルの本質的な体を持っている人には、勝つことは出来ないし、プロなどの高いレベルにはなれないでしょう。

 

誰にでも出来ることは、誰でもなれるレベル。

それ以上の世界は、それを超えた世界。

 

誰にでも出来ない事をやって、出来なかった人たちに夢を与える。

それがプロだ!

このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>